【故事成語】坐井观天( zuò jǐng guān tiān )

坐井观天( zuò jǐng guān tiān ):意味

「坐井观天」( zuò jǐng guān tiān )は、井に座して天を観るということから「井の中の蛙」と同義で「視野や見識の狭いこと」を意味し、またそういう人を皮肉る場合に用います。

坐井观天( zuò jǐng guān tiān ):あらすじ

老子の仁義に対する見解について、井戸の底に座りながら空を見上げて“空は小さい”と言っていることと同じだと例えて批判したという話。

坐井观天( zuò jǐng guān tiān ):故事

博愛を仁といい、これを適切に実践することを義という。

仁義に沿って行くことを道といい、他に頼らず自らに教養を具(そな)えさせることを徳という。

仁と義は意味が定まっているが、道と徳には程度の差があることから、道には君子の道と小人の道があり、徳には凶徳と吉徳がある。

老子が仁義を軽く見ているのは、仁義を悪く言っているのではなく、それを見る老子の考え方が狭いからである。

井戸の底に座って空を仰ぎ見ながら“空というのは小さい”と言ったとしても、それは本当に空が小さいということではないのである。

老子はわずかな恵みを仁であるとし、わずかな気遣いを義としているわけだから、彼が仁義を軽く見るのは自然なことである。

老子のいう道というのは、彼が考えている道を道と言っているのであって、私が言うところの道ではない。

また老子の言うところの徳というのは、彼が考えている徳を徳と言っているのであって、私が言うところの徳ではない。

私が言うところの道徳というのは、仁と義を合わせたもののことであり、天下の者がみな言っているところのものである。

老子が言うところの道徳というのは、仁と義を捨て去っているものであり、それは単なる彼自身の言い方に過ぎないのである。

出典《原道》

《原道》:“坐井而观天,曰天小者,非天小也。”

今回の故事成語である「坐井观天」( zuò jǐng guān tiān )の故事のもとになったのは、唐中期の官吏・文人であった韓愈(768~824年)が著した『原道』という書になります。

「漢文委員会」さんのサイトによれば「原道」とは「儒教化の道徳根源へ本質を原(たず)ねる文」という意味とのことです。

内容はざっくり言うと「道教や仏教なんてやめちまおうぜ!!」(ざっくりすぎ)となります。

韓愈自身、仏教や道教を批判して儒教の復興を説いた人物で、また、それまで使用されてきた駢文(べんぶん:文語文の文体のひとつ)にかわって、自分たちの思想などを表現しやすいような文体として秦漢代の文章を参考にしました。

それらは「古文」と呼ばれ、古文の使用を推奨する運動として「古文復興運動」を推進しました。

この古文の復興儒教の復興はセットになっていたというわけです。

さて、この「坐井观天」の故事のもとになったと言われる『原道』には“坐井而观天,曰天小者,非天小也。”という部分が出てきますが、「井戸に座りながら空を見上げて天は小さいと言っても、それは天が小さいということではない」という意味になります。

これは著者の韓愈が、儒家の仁義を“小”だと批判する老子のことを視野が狭いと非難するのに用いた一文になります。

老子と言えば孔子の形式的な礼を批判していたことでも知られていますが、その老子に対して「いや、それはあなたの見識が狭いからでしょ」と韓愈は批判しているわけです。

この「坐井而观天」という部分がもとになって、のちに見識が狭いことを意味する「坐井观天」となったというわけです。

ちょっと深掘り

『原道』の著者である韓愈(かんゆ:768~824年)は唐代の文人・思想家で、字を退之(たいし)といい、韓信(韓王信)の末裔であると自称していました。

出身地については『旧唐書』の「韓愈伝」には“昌黎の人”(現在の河北省東部)となっていますが、『新唐書』の「韓愈伝」によると“鄭州南陽の人”(現在の河南省南陽市)となっています。

韓愈は生まれてからほどなくして母親が亡くなり、3歳の時には父親の韓仲卿も亡くなってしまったため兄の韓会のもとに身を寄せて養われましたが、その後、兄が亡くなると兄嫁の鄭氏に養われることになりました。

その後はさまざまな官職を歴任しましたが、元和13年(818年)に憲宗(唐第14代皇帝)が鳳翔の法門寺の仏舎利(釈迦の遺骨)を招き入れて供養しようとしたことに対して韓愈が誡めたところ、それに腹を立てた憲宗によって潮州刺史(広東省潮州市一帯)に左遷されることになりました。

どのように誡めたのかについては『旧唐書』と『新唐書』に記載されており、訳者は不明ですが「論仏骨表」(Wikipedia)にも日本語訳が載っているので要約してみると、五帝時代や殷周の時代は国は安定し民も安泰に暮らしていたのに、仏教が伝来してからは争いが絶えなくなってしまった、だから仏教を廃止してくださいという感じになります。(テキトー)

こうして憲宗の不興を買ってしまった韓愈は一旦は死罪になりかけたものの、裴度(はいど)などの諫言もあって死は免れましたが、潮州刺史に左遷されることになりました。

その翌年に憲宗が崩御すると、穆宗によって再び中央に召し出されると、824年に56年の生涯に幕を閉じることになりました。

例文

我们要学习增长见识,不能坐井观天

(私たちは学んで見識を広め、井の中の蛙となってはいけない)

她从小就住在很偏僻的乡下,却自以为了不起,真是坐井观天

(彼女は小さい頃から辺鄙な田舎に住んでいたので自分のことをすごいと思っていた、まったく井の中の蛙だ)

他每天学习开阔视野是因为避免坐井观天

(彼が毎日勉強して視野を広げているのは井の中の蛙にならないようにするためだ)

類義語

井底之蛙( jǐng dǐ zhī wā ):井の中の蛙

夜郎自大( yè láng zì dà ):夜郎自大、身の程知らず

管中窥豹( guǎn zhōng kuī bào ):竹の管からヒョウをのぞく、[喩]見識が狭い

管窥蠡测( guǎn kuī lǐ cè ):管の中から天をのぞき、水びしゃくで海の量をはかる、[喩]見識が狭い

対義語

见多识广( jiàn duō shí guǎng ):博識で経験が多いこと

参照

「儒教化の道徳根源へ本質を原(たず)ねる文」(漢文委員会)

『原道』(維基文庫)

『旧唐書』「韓愈伝」(維基文庫)

『新唐書』「韓愈伝」(維基文庫)

「論仏骨表」(Wikipedia)

【故事成語】坐井观天( zuò jǐng guān tiān )②

坐井观天( zuò jǐng guān tiān )の故事の出典は韓愈の『原道』以外にも、中国の小学校2年生の国語教科書に出てくるカエルと小鳥の対話バージョンもありますので、興味のある方は下の記事【故事成語】坐井观天( zuò jǐng guān tiān )②も合わせて読んで見てくださいね。

【故事成語】推敲( tuī qiāo )

詩人の賈島(かとう)が詩を作っている時に、扉を推(おす)という表現が良いか、それとも敲(たたく)表現が良いか悩んでいたところ、韓愈の一言で敲という表現にすることに決めたという故事から誕生した推敲。

ちょっと詳しい内容は以下の記事【故事成語】推敲( tuī qiāo )にまとめていますので、ぜひ合わせて読んで見てくださいね。

【坐井观天】韓愈はヒゲ少なめのぽっちゃりだった?

いろいろな偶然が重なってしまい“小顔で立派なひげが生えている人物”だと誤解されていた韓愈。

本当はぽっちゃりだったということが『夢渓筆談』には書かれています。

そのことについてちょっと詳しくまとめていますので、以下の記事【坐井观天】韓愈はヒゲ少なめのぽっちゃりだった?からぜひ読んで見てくださいね。

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