【一敗塗地】何が地面に塗れるのか

一敗地に塗れる

一敗地に塗れるとは、再び立ち上がれないほどに徹底的に打ち負かされることひどく大敗すること惨敗することをいいます。

日常会話で使われるかとはあまりないとは思いますが、映画やドラマなどのセリフなどで聞くことがあるのではないでしょうか。

一敗地に塗れるという慣用句は、前漢の司馬遷による『史記』「高祖本紀」に登場する故事が出典になっています。

高祖とは項羽との楚漢戦争に勝利して前漢を建てた劉邦のことで、「高祖本紀」は劉邦の生涯について書かれているものになります。

始皇帝により統一された大陸でしたが、秦二世元年(紀元前209年)秋、厳格な法による統治に対する不満がついに爆発し、秦への反乱である陳勝・呉広の乱が発生すると、劉邦も反秦の戦いに参加していくことになりました。

故郷である沛の人たちや役人たちは劉邦を沛令(沛の県令)にしようとしますが、劉邦はこれを頑なに何度も断っていました。

その際に劉邦が発した「上に立つ者が適任の者でないということは戦いにひとたび敗れれば地に塗れることになるだろう」という発言が、一敗地に塗れるという言葉の語源になりました。

原文と書き下し文は以下の通りになります。

《史记・高祖本纪》刘季曰:“天下方扰,诸侯并起,今置将不善,壹败涂地。・・・・・・”

《史記・高祖本紀》劉季曰く、“天下まさに擾れ、諸侯並び起る。今将を置くこと善からずんば、壹敗地に塗れん。・・・・・・”と

その後、周囲の説得に応じて沛令になった劉邦は各地を転戦していくと、やがて漢王朝を開いていくことになります。

一败涂地:意味

『史記』の「高祖本紀」を出典とする故事から誕生した一敗地に塗れるという慣用句ですが、中国語では一败涂地( yī bài tú dì )といいます。

中国語の一败涂地( yī bài tú dì )は、一敗地に塗れるということから取り返しがつかないほどに惨敗する立ち上がれないほどに大敗するという意味になります。

一败涂地:あらすじ

秦末期、乱れた世にあって将(上に立つ者)が適任の者でないというのは、ひとたび戦いに敗れてしまえば地に塗れてしまうことになると劉季(劉邦)が言ったという話。

一败涂地:故事

中国語の故事成語である一败涂地( yī bài tú dì )についてのちょっと詳しい内容については以下の記事【故事成語】一败涂地( yī bài tú dì )にまとめていますので、ぜひ読んで見てくださいね。

何が地に塗れるのか

一敗地に塗れるの“地に塗れる”という部分についてですが、これはいったい何が塗れるということなのでしょうか。

だいたい想像がつくとは思いますが、これは戦いで命を失って地面に倒れた兵士たちやその内臓が土や泥に塗れることを指しています。(生々しい)

こういう解説はどこのサイトでも見かけるかとは思いますが、ではその出典はどこなのかについてちょっとみていきたいと思います。

前漢の司馬遷による『史記』には後世の人たちによって注釈がつけられていて、次の3つがあります。

まずは南朝宋の裴駰(はいいん、『三国志』に注をつけた裴松之の子)による『史記集解』(しきしっかい)、2つめが唐の司馬貞による『史記索隠』、3つめが同じく唐の張守節による『史記正義』

これら3つを合わせて「史記三家注」(しきさんかちゅう)と言います。

Wikisauceの『史記三家注』「高祖本紀」(維基文庫)には劉邦が“一敗地に塗れる”と発言した部分のあとに、司馬貞の『史記索隠』には次のような注釈がされていると書かれています。(以下、拙訳)

【索隠】言一朝破敗,使肝脳涂地。

【索隠】いわく、一朝破敗、肝脳をして地に塗れしむ、と。

“一朝”とは、ここではひとたび一旦という意味で、“破敗”とは戦いに敗れるという意味になります。

“肝脳”は直訳すると肝臓と脳ということになりますが、そこから転じて内臓という意味になるものと思われます。

つまり、一敗地に塗れるというのは、ひとたび敗れてしまえば(人の)内臓が土や泥に塗れてしまうという意味になるということになります。

戦場の悲惨で生々しい光景が目に浮かんできてしまいます。

以上のことから、唐代の司馬貞による『史記索隠』によると、地に塗れてしまうのは戦場で命を落とした兵士たちの内臓ということになります。

ちなみに“塗地”というのは中国語では(~が)地面をおおう惨たらしい死に方をする大敗するなどの意味があります。

【故事成語】肝脳涂地

中国語の故事成語のひとつに肝脑涂地( gān nǎo tú dì )というものがあり、もともとは惨い死に方をするという意味でしたが、現在では忠義を尽くし一切を惜しまずに命を犠牲にするという意味で使われます。

こちらの方は司馬遷の『史記』の「劉敬伝」が出典になっていて、劉邦が都を周王朝と同じ洛陽にするか、それとも長安にするかで迷っていた時に、劉敬が長安にするように進言した際の発言から来ています。

参照

肝脑涂地(百度百科)

『史記』「劉敬伝」(維基文庫)

劉敬(Wikipedia)

『史記三家注』「高祖本紀」(維基文庫)

史記三家注(百度百科)

塗地(百度百科)

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