【臥薪嘗胆】伯嚭(はくひ)に送られた美女の数は8人?!

卧薪尝胆( wò xīn cháng dǎn ):あらすじ

春秋時代、呉に敗れてしまった越王の勾践(こうせん)は、その屈辱を忘れないように苦い肝を嘗めては自らを奮い立たせて国力を充実させると、遂に呉を滅ぼしたという話。

卧薪尝胆( wò xīn cháng dǎn ):意味

臥薪嘗胆は「薪の上に臥し、苦い肝を嘗める」ということから、目的を成し遂げるために「自らの心身を苦しめて励み務めること」「長い間、刻苦精励すること」を意味します。

成し遂げる内容としては、大きな望みだけでなく、今回の故事成語にもあるように復讐を成し遂げるという場合でも使うことができます。

伯嚭(はくひ)とは

伯嚭(はくひ)は春秋時代の呉国の大夫(大臣のこと)で、闔閭と夫差の親子二代にわたって仕え、夫差の治政下では太宰(百官の長で、天子を補佐する)となりました。

そのため、伯嚭は“太宰嚭”“太宰否”と呼ばれることもあります。

もともとは楚国の生まれでしたが、讒言により一族が誅殺されると古い友人である伍子胥がいる呉国に逃げ込み、なんとか命拾いをしました。

その後、呉王の闔閭の信用を得てみるみる出世していくと、紀元前506年の「柏挙の戦い」で楚国を大敗させ、祖父や父親を死に追いやられた無念を晴らすことができました。

伯嚭の生まれた年については詳しくは分かっていませんが、亡くなったのは呉が滅亡した紀元前473年とされており、『史記』などには越王の勾践によって国を滅ぼす奸臣の“お手本”として処刑されたとされています。

しかし、『春秋左氏伝』(左伝)「哀公 二十四年」によると、越国の太宰であることが書かれていることから、亡くなったのは少なくとも紀元前471年以降という説もあるようです。

ちなみに、『春秋左氏伝』「哀公 二十四年」に書かれている伯嚭に関する部分を少し見てみましょう。

哀公二十四年(紀元前471年)に魯国の君主である哀公が越国を訪れた際に、越国の太子である適郢(てきえい:恐らく鹿郢のこと)と親しくなり、適郢は自分の娘を哀公に嫁がせようとする話が出てきます。

すると、魯国の大夫である公孫有山は、同じく魯国の大夫である季孫肥にこの件を伝えると、嫁ぐことを恐れた季孫肥は伯嚭に賄賂を送ったことでその話は取りやめになったと書かれています。(以下、拙訳)

「公孙有山使告于季孙,季孙惧,使因大宰嚭而纳赂焉,乃止。」

(公孫有山人をつかい季孫に告げり、季孫懼[おそ]れ、人をつかい太宰嚭に因りて賂[まいない]を納[い]れり、乃ち止む)

(公孫有山は使いを遣り季孫に告げた、季孫は怖れをなし、人をやって太宰伯嚭に通じると賄賂を贈り、取りやめとなった)

貪欲で好色な伯嚭

先ほどの『春秋左氏伝』の「哀公 二十四年」のところでもそうでしたが、臥薪嘗胆の故事の出典となっている『史記』にも伯嚭の名前とともに賄賂という言葉が出てきます。

そこから、伯嚭というと呉国を滅亡へと導いてしまった“悪臣、売国奴”というイメージだけでなく、敵国から美女や宝飾品を賄賂として受け取っていたということで貪欲なスケベじじい(失礼www)という印象が強いかもしれません。

というわけで、その貪欲で好色な伯嚭が史書などにどのように書かれているのか調べてみたのでちょっと詳しくみていきたいと思います。

「臥薪嘗胆」の故事の出典となっている『史記』「越王勾践世家」には、伯嚭に美女や宝飾品を贈った場面について次のように書かれています(以下、拙訳)。

「于是句践以美女宝器令种閒献吴太宰嚭。嚭受,乃见大夫种于吴王。」

(ここにおいて勾践は美女宝器を以[もち]いて種をしてひそかに太宰嚭に献ぜさす。嚭受け、乃ち大夫種を呉王に見[まみ]えしむ)

(勾践は文種に命じて美女や宝飾品を太宰伯嚭にひそかに献じさせた。伯嚭は受け取ると、文種を呉王に会わせた)

また、春秋時代について書かれた歴史書で左丘明の著といわれている『国語』「越語上」には、文種が越国が呉国に臣従することによる利を説いて赦しを乞おうとしていることに対して、伍子胥は今すぐに越国を滅ぼしてしまうよう夫差を戒めるのですが、一方の伯嚭はというと次のように諫言する場面が描かれています。(以下、拙訳)

「“嚭闻古之伐国者,服之而已。今已服矣,又何求焉。”」

(嚭聞くに古の国を伐つ者はこれ服すのみと。今すでに服せり、また何を求めざらんや)

(古代、国を伐った者はこれを服従させるだけであると聞く。既に服した今、何を求めようか)

これを聞いた夫差は文種を越国に返すことにしました。

なぜ伯嚭は敵国である越国をかばうような発言をしたのでしょうか。

この発言の前に出てくる一文を見てみましょう。(以下、拙訳)

「越人饰美女八人纳之太宰嚭,曰:“子苟赦越国之罪,又有美于此者将进之。”」

(越人美女八人を飾りてこれを太宰嚭に納めて曰く、子いやしくも越国の罪を赦してくるれば、これよりさらに美ある者をまさにこれに進めんとす)

(越人は着飾った美女八人を伯嚭に送り、もし越国の犯した罪を赦していただけるなら、これよりもさらに美しい者をあとで献上すると言った)

口ではちょっと格好いいことをいっておきながら、頭の中ではさらなる美女が手に入ることを考えていたのかもしれないと思うとなんか面白いですね。

恐らくこの『国語』を参考にしたのか、清代に蔡元放によって改編された歴史小説である『東周列国志』「第七十九回 帰女楽黎弥阻孔子 栖会稽文种通宰嚭」には伯嚭について次のように描かれています。(以下、拙訳)

「文种又指单上所开美人曰:“此八人者,皆出自越宫,若民间更有美于此者,寡君若生还越国,常竭力搜求,以备太宰扫除之数。”」

(文種は書き付けに記された美人を指して、「この八人はみな越の宮の者で、また民の中にはこれよりも美しい者がまだいるので、寡君を越に生きて返していただければ、太宰の掃除(妾のこと)を整えられるように、できる限り探し回る」と言った。)

それを聞いた伯嚭は「逐尽收所献」(献じられたものを尽く収めた)しました。

これらの記述から、国のために尽くした父親や祖父らとは対照的に、伯嚭は貪欲で女好きのイメージが強いため、自分の欲を満たすためなら国を裏切るという売国奴のレッテルを貼られても仕方がないかもしれません。

さらには讒言により命の恩人でもある伍子胥を死に追いやるなど、残忍な印象も目立ってしまいます。

「伯嚭」と方言

そんな良いとこなしのように見えてしまう伯嚭ですが、中国語版Wikipedia「伯嚭」( bó pǐ )の記事などによると、江浙一帯(上海や浙江省、江蘇省あたり)の方言では、この「伯嚭」という言葉は人名だけでなく、別の意味の方言としても用いられているようです。

呉語の一方言である「寧波話」では「甘い言葉をかける人」「大げさに話す人」のことを「伯嚭」または「恶伯嚭」(悪伯嚭)というとされており、また、同じく呉語の一方言である「金華話」では「よくほらを吹く人」「口先だけの人」のことを指すと言われています。

また、江蘇省の無錫の方言では「坏伯嚭」「悪い人」のことを指すようです。ちなみに「坏」は「壊」の簡体字で、中国語では「悪い」という意味も表します。

ちょっと詳しくまとめていますので合わせて読んで見てくださいね。

まとめ

ざっと調べただけなので、他にもまだ伯嚭の賄賂の受け取りに関することについて書かれている史書や小説などがあるかとは思います。

伯嚭は呉国では太宰にまで上り詰めるほどの実力があったわけですから貪欲で好色な部分を取り除いてみればかなりの実力派だったに違いありません。

そんな伯嚭も今となっては中国の一方言の中でひっそりと生きているわけです。

もちろん、良い意味ではないですが。

【韓国語】와신상담(臥薪嘗膽)

韓国語で臥薪嘗胆は「와신상담」(臥薪嘗膽)といいます。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

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