世界最古の麺は「アワ」で作られた?!

世界最古の麺は「アワ」で作られた?!

今から約20年前の2002年、中国の青海省に位置する新石器時代の遺跡である「喇家遗址」( lǎ jiā yí zhǐ:喇家遺跡:らつかいせきで、世界最古といわれる麺が発見されていたのをご存じでしょうか。

地層下3mほどのところに埋もれた逆さまになった器の中から発見されたその麺は、半真空状態で埋もれていたために腐敗することなくほとんど当時の姿のまま保存されていました。

これは現在確認されている中では世界最古の「麺」であると言われています。

意外にも「麺の発祥国」についてはいまだ論争の的となっており、中国やイタリア、アラブ諸国が自国こそが麺の発祥国であると主張している中で、中国にとってはまさに追い風となる発見でした。

Wikipedia「喇家遺跡」(らつかいせき)の記事にも詳しく書かれているのでそちらも見ていただきたいのですが、同記事によれば、世界最古と言われる麺は2005年10月に発見されたと書かれていますが、これは恐らく、喇家遺跡で発見された麺の分析結果がイギリスの科学誌『Nature』に掲載された時期か、もしくはBBCニュースに取り上げられた時期と勘違いしている可能性がありますのでご注意を。

こちらのリンクからイギリスの科学誌「Nature」「Millet noodles in Late Neolithic China」の要約について、また、BBCニュースの2005年10月5日付の記事Oldest noodles unearthed in Chinaを読めますので貼っておきます。

また、「Millet noodles in Late Neolithic China」で検索すると、「Nature」に掲載されたと思われる英字のPDF記事が読むことができますが、公式のもかどうか分からないので、読む場合は自己責任でお願いいたします。

そもそも、現代に生きる私たちが食べる麺というのは一般的には穀物(小麦粉や米粉、そば粉など)などに水や塩などを加えてできた生地を捏ねて伸ばしたりして作られているものがほとんどです。

しかし、「Millet noodles in Late Neolithic China」によると、喇家遺跡から発見された麺の成分を分析した結果、麺は主に粟(アワ)で作られており、少量の黍(きび)も含まれていたとのことです。

また、小麦や大麦、その他の非イネ科の植物が麺の材料として使われたというエビデンスはなかったことから、喇家遺跡から発見された麺はほとんど粟(あわ)のみで作ったものだということになり、つまり世界最古の麺は「粟(あわ)でできた麺」かもしれないということになります。

ということで、今回の記事では世界最古の麺かもしれない粟(あわ)でできた麺について調べてみましたので、ちょっと詳しく見ていきたいと思います。

青海省(せいかいしょう)とは

喇家遺跡(らつかいせき)がある青海省ですが、中国の一省ではあるもののあまり聞き慣れないと思うので、私の知識の整理がてらざっと紹介したいと思います。

かつて長安と呼ばれ、歴代王朝の興亡を何度も見届けてきた陝西省西安市。そこから北西に約600㎞ほど先に、青海省という省があります。

中国の地図を見てみると、ちょうど真ん中あたりに大きな湖が見えるかと思いますが、その湖こそ青海省にある「青海湖」という中国国内で最大の湖沼であり、観光地としても有名なので知っている人も多いのではないでしょうか。

600万人に満たない人口の約半数をチベット族や回族などの少数民族が占めている青海省は、歴史的に見てもチベット族が多く住んでいた地域でもあり、省都である西寧市とその隣にある海東市を除いて、すべてチベット族自治州になります。

青海省の東部に位置する省都の西寧市は、山間を縫うように「十の字」に細長く伸びた街で、道を行き交う人たちの中には漢民族とは違った容貌の少数民族の人たちをよく見かけることができます。

特にイスラム教を信仰している女性の中にはヒジャブ(頭に巻くスカーフ)を被っている人も見かけることもでき、男性では頭に「白帽」を被っている人を多く見かけることができます。

また、街中の看板は漢字以外にもチベット文字で表記されているものを目にすることができ、多民族国家独特の雰囲気を味わうことができます。

下の写真は2019年12月に中国を旅行した時に西寧市の街中で撮影したものになりますので、ちょっとだけ雰囲気を味わっていただけると思います。

喇家遺跡らつかいせき

青海省とその省都である西寧市についてざっくりとしたイメージができたところで、次は「喇家遺跡」(らつかいせき)について見ていきましょう。

現在の青海省西寧市の東側に位置する海東市。その海東市の民和回族土族自治県下の官亭鎮・喇家村(らつかむら)にあるのが、今から約4000年前に存在し高度な文明を持っていたとされる新石器時代の遺跡、喇家遺跡(らつかいせき)になります。

海抜約1800mの官亭盆地に位置し、遺跡の南側約1㎞を黄河が東西に横切っていて、対岸は甘粛省積石山県となっています。

2001年には国務院により「第五期全国重点文物保護単位」(第5次全国重点文物保護単位)に指定されており、「全国十大考古新発見」(全国考古学的新発見トップ10)にも選ばれています。

2002年9~12月の発掘調査で、遺跡のV区南東部にある5m四方の「コードF20」という場所から大量の陶器や石器が発見され、そのうちのひとつに逆さまになった陶器製のお椀があり、その中から世界最古といわれる麺が約4000年ぶりに地上に姿を見せることになりました。

お椀の底部の直径は約5.5㎝、縁の直径は約14㎝、高さは約6㎝。

発見された麺は黄色がかっており、その直径は約3㎜~4㎜、長さは推定50㎝ほどとされています。

当時としては進んだ文明を持っていたとされる集落ですが、地震によって発生した地滑りにより黄河が塞がり、それが後に決壊したことが原因で水はけの悪い盆地にあった集落は結果として大洪水に見舞われてしまい、一瞬にして壊滅したといわれています。

また、喇家遺跡の北側にある「大紅山」という山から押し流されてきた土石流により壊滅したという説もあり、学者の間で今でも論争が繰り広げられています。

いずれにせよ、この未曾有の大災害により一瞬にして壊滅してしまったことから、喇家遺跡は「东方庞贝」( dōng fāng páng bèi:東方のポンペイ)ともいわれています。

中国の麺の簡略史

話はそれてしまいますが、ここでは中国の麺に関してざっくり簡単に見ていきたいと思いますので、麺の簡略史に関する記事「面条简史」(めん簡略史)を参考にしながら補足を加えていきたいと思います。

「麺」料理というとまっ先に思い浮かべるのはやはりラーメンやうどん、そばであったり、パスタ料理でいえばペペロンチーノなどのスパゲッティを使った麺料理ではないでしょうか。

最初の方でも書きましたが、麺の発祥がどこの国なのかというのは分かっていないらしく、中国の他にもイタリアなどが発祥国だと主張しているようです。

各国が麺の発祥国であると主張しているということですが、麺について記載されている文献で最も古いものは、後漢の劉熙(りゅうき)によって著された辞典である『釈名』「釈飲食」になります。

「面条简史」の記事によると、当時は麺のことを「饼」( bǐng )と呼んでいて、繁体字で書くと「餅」になります。これは後漢から魏晋の時代までそう呼ばれていたそうです。

その中でも、当時よく食べられていたのが「湯餅」と呼ばれるもので、これは現在でいうところの「面片汤」(面片湯:長方形の薄い面と野菜が入った麺料理)に相当するものだったそうです。

ただ、麺の太さは現在のラーメンのように細いものではなく、ニラほどの太さがあったとのことですが、晋代には太さが細くなっていたことが『七馍』(詳細不明)で描写されているようです。

唐代になると麺は「餺飥」(ほうとう)と呼ばれるようになり、一説では山梨県を中心に郷土料理として食べられている「餺飥」(ほうとう)はこれが起源であるとしています。

ちなみに、日本語の「麺」は現代中国語では「面条」( miàn tiáo )といいますが、「面条」という言葉が文献に初めて登場したのは宋代で、12世紀初めの北宋の首都である開封(現在の河南省東部)の様子について書かれた孟元老『東京夢華録』などに登場するとのことです。

清代には作家の「李漁」(りぎょ)がその著である『閑情偶寄』(笠翁偶集とも)の中で、油や塩などの調味料を湯(スープ)の中に入れてしまうことに対して「これは面を食していないに等しい」としながら、「面が五味を具え、湯(スープ)はただ清いのが食面ということであり、(食面とは)飲湯(スープを飲むこと)ではない」として、まさに「重面軽湯」(面を重視してスープを軽視する)であったのに対して

同じ清代の文人であり詩人である「袁枚」(えんばい)は、清代の料理の作り方について著した『随園食単』の中で、麺の中に鶏やキノコ、火腿(ハムのこと)で煮出したスープにさまざまな具を添えて食べる食べ方を紹介していて、まさに「重湯軽面」(スープを重視して面を軽視する)であったとしています。

このことから、清代にはラーメンの作り方や食べ方についてさまざまな考え方があったことが窺い知ることができます。

世界最古の麺の主成分

2015年に公表された「青海喇家遗址出土 4000 年前面条的成分分析与复制」(青海喇家遺跡から出土した4000年前の麺の成分分析および復元)についてちょっと詳しく紹介したいと思います。

同論文では3つの分析方法(プラント・オパール分析、残存デンプン分析、バイオマーカー解析)を用いて、他の研究チームの検証方法を参考にしながら喇家遺跡から出土した麺についての分析を行い、その結果を公表しています。

私は専門家ではないので分析方法についての詳しい解説は割愛させていただきますが、まずプラント・オパール(根から吸収されたケイ酸が植物の細胞壁に蓄積されてガラス質になり、植物の枯死後も土壌中で化石として残ったもの)を用いた分析では、その形状から粟(あわ)と黍(きび)であることが確認され、粟と黍のみで全数を計算すると、そのうち95%以上が粟のプラント・オパールであったとしています。

次に残存デンプン粒分析法では、出土した麺のデンプン粉の大きさが大麦や小麦などのデンプン粉よりも明らかに小さく、粟や黍と大きさが近いことが解明されたとしています。

最後にバイオマーカー解析では、植物ホルモンの一種である「ミリアシン」(miliacin)が粟と黍とでは含有量が異なることと、含まれるミリアシンの誘導体を調べることで、粟か黍かの特定を試みた結果、粟であることが判明したとしています。

以上のことから、喇家遺跡から出土した麺の主成分は「粟」ということになり、少量の「黍」が含まれていると同論文では述べています。

粟(アワ)だけで麺は作れるのか

普段、私たちが食べているラーメンやうどん、そうめん、スパゲッティといった麺類は一般的には小麦から作られています。

そもそもなぜ小麦などをひいた粉に水を入れると固まるのでしょうか。

それは、水を加えて捏ねることで穀物のタンパク質の一種である「グルテニン」「グリアジン」が水を吸収して網目状に繋がることで「グルテン」が形成されるためといわれています。

また、麺といえば乾燥食品でもあり緑豆やジャガイモなどの「でんぷん」が原料となっている春雨や、米粉から作るビーフンやフォーなどの「ライスヌードル」もありますが、これらは小麦粉などから作る麺と違って捏ねたり伸ばしたりすることができないので

でんぷんをお湯で溶かしたりしながら成形したものをところてんを作る際に用いる「天突き」のような器具に入れて押し出すことで麺の形にしたり、また、ペースト状にしたものを固めて包丁などで切って成形します。

粟(あわ)は小麦などと違って水を混ぜてもグルテンは形成されないので捏ねたり伸ばしたりして麺を形成することができません。

では、喇家遺跡で暮らしていた人たちはどのようにして粟(あわ)でできた麺を作っていたのでしょうか。まずは次の記事を見ていきたいと思います。

「喇家遗址出土一碗四千年前老面,专家经过研究,破解面条成分之谜」

「喇家遺跡から出土した4000年前の麺、専門家が麺の成分の謎を解き明かす」

上の記事では、黄河上流域では4500年ほど前からすでに小麦や大麦の栽培が始まっていたとされており、また、喇家遺跡からそう遠くない「天水西坪坝遗址」(天水西坪垻遺跡)という遺跡では4600年前の小麦の種が発見されたということから

喇家遺跡と天水西坪垻遺址との間で物々交換による交易が行われ、それにより喇家遺跡に住んでいた人たちは小麦を手に入れることができ、それを粟と混ぜて麺を作っていたのではないかという専門家の見解を紹介しています。

しかも、実際に粟や高梁(コーリャン)に一定量の小麦を混ぜて麺を形成してみると、口あたりこそ現代のものには及ばないものの、麺にはなるということがわかったと同記事では述べています。

しかし、研究結果からも明らかな通り、喇家遺跡から発見された麺の成分はほとんどが粟(あわ)であり、小麦やその他の非イネ科植物が使われたという形跡もないことから、喇家遺跡から発見された麺には生地をつなぎ合わせる役割をする「グルテン」が含まれていなかったと考えるのが自然です。

つまり、先ほどの記事にもあるように粟に小麦を混ぜて麺を形成できることが証明されたとしても、実際に発見された麺に小麦などが含まれていないという分析結果が出ている以上は、仮に喇家遺跡に居住していた人たちが天水西坪垻遺跡との交易があって小麦を手に入れることができていたのではないかという仮説を立てたところで、当時の喇家遺跡に住んでいた人たちが“粟麺”を作れたということの証明にはなりません。

ということは、やはり粟だけで麺を作るというのは不可能なのでしょうか。

そこで、先ほどの論文である「青海喇家遗址出土 4000 年前面条的成分分析与复制」(青海喇家遺跡から出土した4000年前の麺の成分分析および復元)を見ていきたいと思います。

この論文内では、先ほどの分析結果から粟(あわ)を用いて太さが均一の、長さが少なくとも30㎝より長く、水中で加熱しても型崩れしない「粟麺」を作るという検証がなされています。

作り方としては、山西省や河南省の一部地域に伝わるでんぷん粉を用いた麺の作り方(華北の伝統的な麺料理である饸饹面[hé le miàn])や北魏の賈思勰(かしきょう)の農書である『斉民要術』に記述されているやり方などを参考にしています。

粟粉に適量の水を加えて手で捏ねて生地を作ったら(もちろん小麦粉で捏ねたような生地ではないですが)そのまま「天突き」のような器具で押し出して麺を成形するやり方に始まり、水ではなくお湯を加えて捏ねてみたり、途中で生地を寝かせたり蒸してみたりして作ったり、または炊いた粟をノリ状にした後に冷ましてから「天突き」のような器具で押し出して麺を作ってみたりと計6つの方法で試してみました。

結果、「天突き」のような器具で押し出して麺らしくなったのは、約20分間鉢の中で生地を潰したもの、粟粉にお湯を加えて生地を作ったもの、生地を蒸したもののみで、その他の方法でやったものはほとんどが「天突き」のような器具から押し出されてから10㎝にも満たないまま切れてしまったり、茹でた後に切れやすくなってしまい、麺になることはありませんでした。

ただ、茹でる前はうまく麺を形成できたものでも、茹でた後は切れてしまったりしてしまい、やはり遺跡から出土したような麺にはなりませんでした。

最後にもう一度、それまでのやり方を組み合わせて「粟麺」を作ってみた結果、茹でたあとの麺の長さは120㎝以上に達し、異なる品種の粟でも同様の結果が得られたとのことです。

以上の結果から、同論文ではプラント・オパール分析、残存デンプン粒分析、バイオマーカー解析などの総合的な分析から、遺跡から発見された麺が粟(あわ)と黍(きび)からできていることを証明し、さらには「饸饹面」(hé le miàn)の麺を作る際に用いる「天突き」に似た器具を使うことにより、成分・形状の同じ麺を粟(あわ)で作ることができたとしています。

ただ、出土した麺には油脂などの成分がすでになくなっており、また塩分や具などが入っていたのかどうかについてはさらなる研究が必要であるとしています。

まとめ

この青海省にある喇家遺跡から発見された世界最古といわれる麺に関する論文は他にもまだまだありますが、私の中国語力が足りない故、まだ全部読み切れていないので、今後も知識を整頓したうえで新たな記事として書きたいと思います。

また、喇家遺跡が壊滅したのは大地震により黄河が塞がってしまい、それが後に決壊したことで集落を大洪水が襲ったという説の他にも、集落の北側にある山から流れ落ちてきた土石流により集落が壊滅したという説もあり

それに関しても実地調査などを通してさまざまな論文が書かれているため激しい議論の的となっていますが、これもまたあとで記事にしていきたいと思います。

ちなみに、喇家遺跡で発見されたのは成分分析の結果から「粟麺」であるというのが濃厚ですが、新疆ウイグル自治区にある「新疆蘇貝西墓地(古墳群)」蘇貝希とも)から出土したのは黍(きび)でできた「黍麺」であると言われており、これは今から約2400年前のものになるとのことです。

麺の発祥国がどこなのかまだ明らかになっていない現在、このような考古学的研究のさらなる成果を待つしかないのかもしれません。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「miho.panda」さん - パンダ

「あさひ晃」さん - 吹き出し漫画

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