【三国志/画饼充饥】「常士」は「普通の人」なんかではない?!

画饼充饥( huà bǐng chōng jī ):あらすじ

三国時代の魏の明帝(曹叡)が人材を登用しようとした際に、その人の名声だけを参考にしてしまっては結局のところ地面に描いた餅と同じで何の役にも立たないと言ったという話。

画饼充饥( huà bǐng chōng jī )とは

「画饼充饥」「空想により自らを慰める」「名だけで中身がない」という意味の故事成語になります。

出典は『三国志・魏書』「蘆毓伝」(ろいくでん)になります。

「画饼充饥」については下の記事「画饼充饥」に詳しくまとめてありますので、ぜひ読んでみてくださいね。

「常士」とは

この「画饼充饥」という故事成語は、蘆毓に「中書郎」の官職に就くに相応しい者を選任させようとした時に、魏の明帝(曹叡)が「名如画地作饼,不可啖也」(名声は地面に描いた餅のように、食べることができない)と発言したところから来ています。

その発言に対して蘆毓は、「名不足以致异人,而可以得常士」「名声は異人(圧倒的に優れた人)を集めるには不十分ですが、“常士”を得ることはできます。」と答えました。

ここで出てくる「常士」という言葉ですが、これは一般的には「普通の人」のことを指しているとされていますが、私はどうもしっくりきません。

なぜなら、蘆毓の「名不足以致异人,而可以得常士」という発言は、その人に名声(評判)があるからといって異人(圧倒的に優れた人)だという保証はないないけれど、その名声がある人が「常士」かもしれませんよという意味になると思うからです。

そこで、この「常士」という意味について私なりに考えてみました。これはあくまでも私自身の見解であって、これから述べる根拠は私自身の考えに合うように都合の良い部分ばかりを列挙していますので、注意してくださいね。

「常士」についての私の見解

さて、明帝が名声(評判)は単に地面に描いた餅にしか過ぎないと言ったことに対して、蘆毓は「常士なら招くことができる」と答えました。

しかし、残念ながら私は『三国志』の日本語の現代語訳を読んだことがないのと、それを買おうにもどうやらかなりのお値段がするようなので経済的な理由で手が出せないのとで、この「常士」という単語が日本語にどのように訳されているのかというのがわかりません。

他サイトでは「普通の人」と訳されているので、おそらくは『三国志』の現代語訳をそのまま引用しているのか、それとも、既にどこかでそう訳されたものがそのまま“市民権を得ている”のか分かりませんが、やはり私はどうしても腑に落ちない感じが払拭できません。

ここでいう「常士」が「普通の人」のことを指す場合、「すぐれた名高い人物、名が広く知れ渡っている人、名声のある人」という意味の「名士」の反対の言葉として用いられているのではないかと私は最初は考えていました。

「名士」の対義語が何という言葉なのかは私にはわかりませんが、上記の意味から推測するに、「名士」の反対の意味は「(無能ではないが)有能ではない名が知られていない人」となります。

しかし、蘆毓はこう言っています。

「名不足以致异人,而可以得常士。」

(名声というのは異人(圧倒的に優れた人)を集めるには不十分だが、“常士”を得ることはできる)

この言葉から推測するに「常士」もまた同じく名声がある人たちのことを指していると思われます。なぜなら、名声によって「常士」を得ることができると言っているからです。

つまり、この時点で「常士」もまた「名声がある人」「評判がある人」のうちに含まれていると思われるので、やはり「名士」とは真逆の「名声もない普通の人」とは違う存在なのではないでしょうか。

また、「名不足以致异人,而可以得常士。」の後半部分である「而可以得常士」の主語は前半部分と同じ「名」であると解釈するのが自然ですし、その方が読んでいて違和感もありません。

この「常士」の「常」という言葉ですが、現代中国語では形容詞として用いる場合は「普通の、通常の、一般の」という意味以外にも、“常緑樹”などの言葉でも使われているように「恒久的な、一定の、常に変わらない」という意味があります。

そこから考えると、この「常士」という言葉は「普通の能力の人」「一般的な能力の人」という意味で解釈しても良さそうな気がしますが、蘆毓は「常士」についてこう言っています。

「常士畏教慕善,然后有名,非所当疾也。」

(常士は教養を重んじ善美に心を注いで名を挙げるわけだから、[名がある者または名声自体を]憎むべきではない。)

意訳で申し訳ないですが、蘆毓のこの発言から「常士」というのは名があるだけでなく、教養を身につけることや人格を磨くことに励んでいる人を指しているように思えます。

また、見方を変えれば、「常士」が名を挙げることができているのは、学問的な教養だけでなく精神的にも教養を身につけているからだとも受け取れます。

つまり、この時点で「常士」とはやはり「普通の人」ではないということが分かります。

ただ、この「常士畏教慕善,然后有名,非所当疾也。」という蘆毓の発言は2通りの解釈ができると思われます。

まず、登用前の「常士」は無名だけれど、登用後は教養を高めて名を挙げることができますよと蘆毓が「常士」の登用を推薦しているという「常士の推薦説」

もうひとつは、登用前の「常士」はすでに有名であり、その「常士」がなぜ名を挙げているのかを蘆毓が説明してあげているという「常士の説明説」

もし前者の「常士の推薦説」が正しいと仮定した場合、この「常士畏教慕善,然后有名,非所当疾也。」という発言は「普通の人は後に教養を身につけていくことで有名になるから「常士」を憎むべきではない」という感じになります。

しかし、そうなってくると、その登用した無名の「常士」は、明帝が毛嫌いしている「名声のある者」になっていってしまいます。

確かに明帝は「中書郎」の適任者として名がある者を登用したがっていませんから、無名の「常士」の登用を推薦することに矛盾はありませんが、明帝は別に登用した人がこれから名を挙げていくことを望んでいるわけではありません。

明帝が欲しているのは単純に「名がない人」な訳ですから、蘆毓が明帝に「普通の人は後に教養を身につけていくことで有名になる」と助言するのはちょっと違和感がありますし、そもそも的外れな意見と言っても良いかもしれません。

また、最初の方でも少し触れましたが、「名不足以致异人,而可以得常士。」の後半部分である「而可以得常士」の主語は前半部分と同じ「名」であると解釈するのが自然です。

もし、「常士の推薦説」が正しいとするのであれば、「而可以得常士」の主語が「名」ではなく他の主語でなければ、話の流れとして変になってきてしまいます。

よって、私の見解としてはこの「常士の推薦説」はないのかなと感じます。

しかし、後者の「常士の説明説」が正しいと仮定した場合、登用前の「常士」が有名な理由を蘆毓が明帝にきちんと教えてあげていることになります。

これにより、名声という明帝の「色眼鏡」によって人材登用の選択肢から除外されかけている「常士」を、蘆毓がなんとか選択肢の中に引き戻そうとしているという解釈につながります。

「常士」が有名な人のことを指すからこそ、蘆毓が「常士畏教慕善,然后有名」と「常士」についてきちんと説明してあげた後に「非所当疾也。」([名がある者または名声自体を]憎むべきではない)と付け加えたことに納得がいくわけです。

また、蘆毓の発言である「名不足以致异人,而可以得常士。」の後半部分の「而可以得常士」の主語について、前半部分と同じ「名」であると解釈することにも筋が通ります。

それに、一般的な感覚から言って、「教養を身につけた有名な人物」のことを果たして「普通の人」といえるのでしょうか。

ということは、この「常士」という言葉は異人(圧倒的に優れた人)ほどではないにしろ、「普通の人」ではない、何か別に秀でた部分を持った人のことを指しているのではないでしょうか。

以上のことから、「常士」というのは「ごくありふれた普通の人」ではないと言うことが想像できるかと思います。

「常士」とは明帝が欲していた人材像?

私は三国志についてはあまり詳しくないので表面的な話をすると三国志ファンに怒られるかもしれませんが、明帝(曹叡)の祖父である曹操は「唯才是挙」または「唯才是用」という言葉の通り、有能な人材についてはその出自などに限らず採用・抜擢した人物になります。

それは明日には我が寝首が掻かれるかもしれない時代にあっては即戦力となる人材は非常に重要であったのもそうですし、豪族の力を削ぎたいという意図もあったとも言われています。

それから魏の初代皇帝となった曹丕(曹操の長男)は220年に「九品中正法」という人材登用制度を作りました。

「九品中正法」(きゅうひんちゅうせいほう)とは簡単に言うと、郡ごとに「中正官」という役人を設置して管内の優秀な人物を一品から九品までの等級をつけて評価(これを郷品または定品するという)することです。

別名を「九品官人法」ともいい、これはいわゆる「不文法」(文章で表現されていない法のこと)だったとされていますが、出典が見つけられませんでしたので断定はできません。

また、「家世」(家系や家柄)、「行状」(才能や人格)が評価の対象となっていて、中正官により評価を受けて品等をつけられた者は中央に上申されて、一品から九品の品等に応じた官職を受けることができました。

その後は一部変更された部分もありますが、これは隋代に科挙が始まるまで人材を採用する制度として約350年にわたって存続することになりました。

「九品中正法」が施行された当初は「家柄や家系」「才能」「人格」が同じように重要視されていたとされています。

しかし、「九品中正法」が220年に施行されてからそんなに年月が経っていないにもかかわらず、明帝(曹叡)は名がある者を憎み、重職への起用をためらっていたことからすると

表向きは「家柄や家系」「才能」「人格」を同等かつ公正に評価しているように見えて、実際には「人格」や「品行」にやや問題がある人物が官吏として採用され、それを明帝は見ていて不満に思っていたのではないでしょうか。

実際、蘆毓伝にも名ばかりの「四聡八達」(夏侯玄や諸葛誕などの“名士”を指す言葉)を明帝が好ましく思っていなかったことが書かれています。

名声がある人を毛嫌いし不信感を抱いていた明帝に対して、蘆毓は名声があるだけでは真に優秀な人材を得られるかは分からないけれども、名声のある者の中には「常士」がいるかもしれませんよと諭しました。

その時の蘆毓の発言が「名不足以致异人,而可以得常士。」「名声というのは異人(圧倒的に優れた人)を集めるには不十分だが、“常士”を得ることはできる」になるわけです。

当時、学問に励んでいた人がごまんといる中で名が広く知られている人もまた少なからずいたわけですから、官職を授けられる人というのはそれなりの能力と知名度があって「普通の人」ではないことは確かなのですが

ただ、その人の「人格」や「品行」もまた素晴らしいのかと言われたら、それはまた別の話になってくるのかもしれません。

そこで登場してくるのが「常士」という存在です。なぜなら「常士」とは「常士畏教慕善,然后有名」だからです。

では、「常士」が「普通の人」ではないとしたら、この「常」はいったいどういう意味なのでしょうか。

この「常」( cháng )という字は、もともと古代中国において女性が履く「下裙」(スカート)のことを指していました。

基本的な意味は「変わらない、恒常的な」でしたが、そこから派生して「一般的な、普通の」という意味になりました。

また、「変わらない」という意味から派生して「規則、決まり」という意味となり、特に封建社会では「人との関係における規範」を指すようにもなりました。

この場合の「常」は「伦常」( lún cháng:倫常、人の守るべき道)「纲常」( gāng cháng:綱常)という意味になります。

この「綱常」は儒教で言うところの「君臣・父子・夫婦」の「三綱」と「仁・義・礼・智・信」の「五常」(五徳とも)を指していて、いわゆる「三綱五常」となります。

「三」という言葉は班固による『白虎通義』に、「五常」という言葉は王充による『論衡』を出典としていて、またいずれの書も後漢時代の1世紀頃には成立していたと思われることから、『三国志』が書かれた頃(280年以降)には既にそれらの言葉は存在していたと思われます。

よって、『三国志』が書かれた当時、「常」に「伦常」( lún cháng:倫常、人の守るべき道)「纲常」( gāng cháng:綱常)という意味があったということになります。

そこから考えると「常士」の「常」とは、単に「普通の、一般的な」という意味ではなく、「道徳的な規範を備えた」という意味に解釈できるのではないでしょうか。

つまり、「常士」とは「学問的な教養を身につけているだけでなく、道徳的な教養も備わった人」のことを指していると考えられないでしょうか。

名声がある人の中にはきちんとした人がいないと断定してしまっていた明帝に対して、そういう人の中にも道徳的に教養がある人がいることを「常士」という言葉を用いて諭した蘆毓。

「常士」とは決して「普通の人」のことを指している言葉ではなく、その「常士」こそ明帝が欲していた理想の人材像なのではないでしょうか。

「九品中正法」は「家柄や家系」「才能」「人格」を同等に重要視していたと書きましたが、蘆毓は何よりもまず「人格」、つまり道徳的な教養を身につけているのかどうかというのを人材の採用や昇降格・改任の優先的な判断材料として見ていたのかもしれません。

以上のことから、私はこの「常士」が「普通の人」ではなく「学問的にも道徳的にも教養のある人」という意味であると解釈しています。

『考課論』

明帝の時代に制定したと言われる「考课法」(考課法)というのが具体的にどのような内容だったのかについては残念ながらよく分かりませんが

『三国志・魏志』の「崔林伝」には、明帝の時代に散騎常侍(皇帝の顧問役・侍従)である「劉劭」(りゅうしょう)が『考課論』を作成して明帝が各級の官吏に勅令を出したとあります。

また、『三国志・魏志』の「劉劭伝」にも明帝景初年間(237~239年)に曹叡(明帝のこと)が劉劭に官吏を評定する基準となる『都官考課』72条を作らせたとあります。

以上のことから、少なくとも明帝の時代に官吏を評定する新たな規則や基準が施行されたという事実があるようです。

「常士」には今回の記事で私が書いたような「学問的にも道徳的にも教養のある人」という意味は辞書にはないので、これはあくまでも私の個人的な見解として右から左に受け流してもらえればと思います。

ここまで長々と書いておきながら、「常士」の意味が結局のところ「普通の人」だったというオチもあり得るので、やはり自分で調べて見てくださいね。

「普通の人」という意味だった時は、この記事を思い出して鼻で笑ってもらえれば幸いですwww

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「miho」さん - パンダ

「IWAYUU」さん - 旗を持つ女の子

chinese-mao

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