【故事成語】桑田沧海( sāng tián cāng hǎi)

※「麻姑搔背」と同じ出典なので、あらすじと故事は「麻姑搔背」のものと同じになります。

桑田沧海( sāng tián cāng hǎi):あらすじ

後漢桓帝の時代(146~168年)某年7月7日、「麻姑」という女仙の細長い指先にある鳥のような爪を見た「蔡経」という男は、その爪で背中を掻いてくれたら気持ちいいだろうなと思ったところ、その邪な考えを見抜いた仙人の「王遠」が怒って蔡経をムチで打ったと言う話。

桑田沧海( sāng tián cāng hǎi):故事

後漢の桓帝の時代(146~168年)の話。

ある年の7月7日、「王遠」(王方平とも)という仙人は「蔡経」という小民の家に降り立つことになりました。

蔡経は王遠のために豪華な食事を準備して待っていると、天から人馬やドラの音が聞こえてきました。

飛龍に牽かれた羽車(仙人が乗るとされる車)に乗って天から降りてきた王遠は、頭には「遠遊冠」、五色の帯に深紅色の公服を身にまとい、さらに宝剣を背負っていました。

王遠は蔡経の家族に会うと、使者に「麻姑」を呼び寄せるように伝えました。

すると、再び天から人馬やドラの音が聞こえてきたかと思うと、18、9歳になるひとりの美しい娘が降りて来ました。

頭頂部で髻(もとどり、漢代の女性の髪型のひとつ)を結い、余った髪は腰まで垂れ下がり、花の柄のついた美しい衣を身にまとっていました。

麻姑は王遠に言いました。

「この前お会いしてから、東海が三度、田園に変わるのをこの目で見ました。

それと、蓬莱に行きましたところ、水が昔より少なくなっておりました。

おそらくもうすぐでそこは陸地となってしまうでしょう」

また、麻姑は女性たちともひとりひとりあいさつをしました。

すると突然、蔡経の弟の嫁を呼び止めました。

彼女は数日前に子どもを産んだばかりでした。

麻姑は穢れを払うために彼女に米を持ってくるように言うと、その米を地面へと撒きました。

不思議なことに、その米は瞬く間に真珠(丹砂とも)へと変わってしまいました。

王遠は笑いながら麻姑に言いました。

「そなたは若いが私はもう年だ、そのような“遊び”は好まない」

すると、王遠は今度は持参した一升の美酒に一斗の水を混ぜてみんなに振る舞いました。

このお酒は俗人が飲めるようなものではなく、飲んでしまった場合は腹を下してしまうとのこと。

ただ、水で薄めてあるのでその心配はないと、王遠は蔡経たちに飲むように勧めると、そのお酒を飲んだ蔡経一家はみなすぐに酔ってしまいました。

麻姑の爪は人間のそれとは違っていました。

その時、それを見た蔡経はふと思いました。

「背中がかゆい時に麻姑の爪でかいてもらったら、きっと気持ちいいに違いない」

王遠は蔡経のその心を見破ると怒って言いました。

「麻姑は神人であるのに、そなたはなぜ背中をかいてもらえると思ったのだ」

王遠は蔡経を縛り上げると、ムチで打ち始めました。

しかし、「ムチ打つ人」の姿が見えた者は誰ひとりとしていませんでした。

出典《神仙伝》

《神仙传》:麻姑自说:“接待以来,已见东海三为桑田,向到蓬莱,水又浅于往昔,会时略半也,岂将复还为陵陆乎。”

今回の故事成語である「桑田沧海」の故事は、「麻姑搔背」と同じく、葛洪(:かっこう)「神仙传」( shén xiān zhuàn :神仙伝)が出典となります。

「麻姑搔背」の記事については下の画像をクリックして見てくださいね。

話はちょっとそれてしまいますが、「麻姑」の故事についてよく「出典は《神仙伝》巻七の麻姑である」と書かれていることが多いのですが

そもそも《神仙伝》「巻七」に麻姑の話はまったく出てこないので、間違った情報のまま色々なサイトでコピペされて広まったのではないかと思われます。

もしくは別の古書と混同してしまっているか、はたまた私のリサーチ不足か。

それはさておき、この故事は麻姑と王遠との会話の部分から来ています。

先に蔡経の家に降り立っていた王遠は使者に麻姑を呼び寄せるように伝えましたが、使者曰く、麻姑は用事があって「蓬莱」に行かなければならないので、その用事が済んだらすぐに向かうのでここを離れないようにとのことでした。

その後、しばらくして天から麻姑が蔡経の家にやって来ました。

約500年ぶりに会うというふたりは会話が弾み、その会話の中で、麻姑は仙女となって以来、東海が3度も桑田に変わるのを見たと言いました。

それが今回の故事「桑田沧海」のもとになったというわけです。

見た目は10代後半の娘ではありますが、かれこれ数世紀にもわたって生きているわけですから、今も生きているのだとしても20歳にまだなっていないのかもしれません。

ちょっと深掘り

「桑田沧海」は日本語だと「滄海(そうかい)変じて桑田(そうでん)となる」という意味で、「世の移り変わりが激しい」ことを表しています。

国語辞典を引くと「桑田変じて滄海となる」「滄海変じて桑田となる」となっていますが意味は同じです。

日本語の「滄海(そうかい)変じて桑田(そうでん)となる」の場合、出典はそれぞれ劉廷芝の「代悲白頭翁」と儲光羲の「献八舅東帰」という漢詩から来ているようです。

劉廷芝(651年 – 679年)と儲光羲(707年 – 763年)はどちらも唐代の詩人のようです。

「代悲白頭翁」についてはこちらのサイト「漢詩 代悲白頭翁」に詳しく載っていますのでどうぞ。

上記の言い方の他に

「桑田碧海」(そうでんへきかい)

「滄桑之変」(そうそうのへん)

「桑海之変」(そうかいのへん)

「碧海桑田」(へきかいそうでん)

という言い方もあるようですが

みんな漢字ばかりで何が何やらでややこしくなってきますが、意味はすべて同じになります。

ちなみに、中国語の「 桑田 」は「桑畑」というよりは「田園、田畑」という意味になり、「沧海」は「青々とした海」という意味になります。

例文

我看到家乡桑田沧海的变化,一句话也说不出来。

同样的地方,现在已经是桑田沧海

桑田沧海也改变不了我们之间的友谊。

類義語

沧海桑田( cāng hǎi sāng tián ):滄海桑田、滄海変じて桑田となる

面目全非( miàn mù quán fēi ):(好まない方に)すっかり変わる、一変する

人生如梦( rén shēng rú mèng ):人生は夢のごとし、世の移り変わりが激しく人生は短い

瞬息万变( shùn xī wàn biàn ):極めて短時間にめまぐるしく変化する

千变万化( qiān biàn wàn huà ):千変万化する、変化がきわまりない

対義語

依然如故( yī rán rú gù ):依然としてもとのままである

韓国語での表現

韓国語で「桑田沧海」は次のようになるようです。

창해상전 (滄海桑田)

상전창해 (桑田滄海)

벽해상전 (碧海桑田)

상해지변 (桑海之變)

상전벽해 (桑田碧海)

と、日本語と同じくさまざまな言い方があるみたいですね。

また、中には「마고관해」(麻姑觀海)としているサイトもありましたが

正式な韓国語かどうか確認できなかったので微妙な感じです。

また、「고안심곡」(高岸深谷:コアンシンゴ)という言葉もあり

日本語では「高岸深谷」(こうあんしんこく)というそうです。

「高岸深谷」は「世の中の移り変わりが激しい」ことを意味しており

昔、中国の周の時代に起こった大地震の故事から来ています。

機会があれば「高岸深谷」( gāo àn shēn gǔ )を記事にしてみたいと思います。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「せいじん」さん - ネコ

「miho」さん - パンダ

「にゃんこ先生」さん - プンプンマーク

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