「三」は「サン」にあらず?!

三( sān ):意味

小学校低学年で習う漢数字の「三」という字ですが、四字熟語や縦書きで数字を表す時や“三又又三”のように人の名字や名前で用いる場合を除いては、3という意味を表すには基本的にアラビア数字の「3」を用いることがほとんどだと思います。

その三の字についてですが、中国語の「三」( sān )も日本語と同じで読んで字の如く「3」という意味の数詞になり、奇跡的(?)に発音も同じなので、中国語初学者にとっても覚えやすい単語のひとつだと思います。

他の数詞についてもそうですが、「三个苹果」(3つのリンゴ)や「三辆汽车」(3台の車)などのように数量をいう場合には“量詞”の前に用いるのが普通です。

また、同じく3を表すものに三の字の大字(だいじ)として「叁」( sān )という言葉もあり、これは読み間違いや書き直しを防止するために賃貸契約書などの契約書などに多く用いられます。

他にも「仨」( sā )というものもありますが、三や叁と異なり「仨」は数詞として「三」を表すだけでなく、異なる3つの個体を表します。

つまり「仨」だけで「3つ」という意味になることから、後ろに“量詞”をつけることはできません。

また、これは北方の方言(多く話し言葉として)として用いられ、例文としては「吃了仨苹果」(3つのリンゴを食べた)や「哥儿仨」(兄3人)などがありますが、たまにネットなどで見かけることはありますが個人的には実践で使ったことはまったくありません。

ちなみに、「卅」(sà)は「30」を表し、日本でも墓石に刻まれた日付などで見かけることがあります。

「三」は「サン」にあらず?!

一般的に数詞として日常的に用いるこの「三」という字ですが、どうやら3以外にも意味があるようなので、ちょっとみていきたいと思います。

話は魏・呉・蜀が鼎立していた皆さん大好きの三国時代末期まで遡ります。

劉備や諸葛亮亡き後の蜀漢(蜀)は、劉備の息子である劉禅による治政が敷かれていましたが、それは優秀な臣下によって支えられていたもので、結局、263年に魏によって滅ぼされることになりました。

その後、魏に降伏した劉禅は洛陽に身柄を移されると、そこで司馬昭から宴席を用意されることになりましたが、その時に蜀の歌舞が披露されると、それを見た旧臣たちが蜀を恋しがるなかで劉禅だけは楽しそうにしているということがありました。

その姿を見て“蜀は恋しくないのか”と聞いた司馬昭に対して劉禅は“恋しくない”と答えたことから、中国語の故事成語である「乐不思蜀」( lè bù sī shǔ:楽不思蜀 )が誕生することになりました。

「乐不思蜀」( lè bù sī shǔ )とは「楽しさのあまり帰るのを忘れる」「うかれて本業を忘れる」などの意味になります。

「乐不思蜀」の故事の出典になったのが東晋の習鑿歯(しゅうさくし)によって編纂された『漢晋春秋』「後主」(劉禅のこと)に登場する話になります。

しかし、陳寿の『三国志』蜀書・後主伝裴松之が注釈をつけた際にこの『漢晋春秋』を引用したことから、出典を『三国志』の「蜀書・後主伝」とする場合もあります。

ちなみに、『三国志』の「蜀書・後主伝」の本文自体には劉禅が蜀を恋しくないと答えるという故事は登場しません。

さて、劉禅の宴席における「蜀を恋しいとは思わない」との発言に司馬昭はびっくらこいた訳ですが、その前の場面には蜀漢の霍弋(かくよく)という武将が六郡の諸将や太守を引き連れて投降する場面が登場するのですが、その際に霍弋は司馬昭に対して次のように上奏します。

■“臣闻人生于三,事之如一,惟难所在,则致其命。今臣国败主附,守死无所,是以委质,不敢有贰。”

書き下し文と現代語訳は以下のようになります。(以下、拙訳)

■臣聞くに人は三によって生き、これに事(つか)えること一の如し、ただ難ある所なれば則(すなわ)ちその命を致せんと。今臣は国敗れ主附し、死を守(ま)つに所無く、ここを以て質(にえ)を委し、敢えて貳を有せず。

■人は君、父、師によって生かされており、これに仕える(これを世話する)場合も同様に、ただ難があれば命を差し出すものであると聞く。今となっては国は滅び主は降伏してしまった、死を待つにも場所はない。よって今後は魏に忠誠を尽くし、二心を抱くようなことはしない。

いよいよ本題に入りたいと思いますが、冒頭部分の「臣闻人生于三」(臣聞人生於三)に“三”の文字が出てきますが、初め数詞の3かと思って意味が通らず混乱していました。

調べて見ると、これは数詞の3という意味ではなく、訳文にもあるように「君、父、師」を指す言葉になります。

オンライン辞書の「漢典」「三」を検索してみると“指君、父、师 [monarch;father,teacher]。”と載っており、「三」(百度百科)にも同様の記述が見られます。

この三というの「君、父、師」を指す「三尊」( sān zūn )の略であると思われ、古代において尊敬すべき3人の人をいったことから、漢数字の「三」には「君、父、師」という意味もあるということになります。

ちなみに先ほどの霍弋の言葉を聞いた司馬昭はこれを褒め称えると、霍弋に南中都督の官職を授けることになります。

ちょっと余談

2文目の「事之如一」の「如一」についてですが、書き下し文では「一の如し」として「同じである、同様である」と訳しています、というか訳してしまっています。(拙訳なので)

ただ、西周から紀元前5世紀頃までの各国の歴史を記した『国語』「晋一」にも上記と似たような文が書かれており、本文から引用すると“‘民生于三,事之如一。’”と記載されています。

三国時代の呉の韋昭(いしょう)による注釈によると、『国語』の同文についての注釈は次のように書かれています。(以下、拙訳)

■三,君、父、师也。如一,服勤至死也。

■三、君、父、師なり。如一、勤めに服すること死に至るまでなり。

■三とは“君、父、師”のことである。如一とは“死ぬまで勤めに服すること”である。

三というのは先ほども書いたとおり“三尊”の略であると思われるので君、父、師の3人を指すというのは分かりますが、問題は「如一」の部分です。

“死ぬまで勤めに服する”といわれてももこみち、いや失礼、いまいちよく分かりませんが、“服勤至死”というのはつまり“礼をもって尽くす”“生涯にわたって付き従う”“最後まで世話をする”という意味になるかと思われます。

それを考えると、『漢晋春秋』に出てくる「臣闻人生于三,事之如一」というのは、君主から禄をもらい親から養われ、師から教え導かれているのだから、その恩と同じくらいに三(君、父、師)に生涯仕える(または三を生涯にわたって世話する)ということになるのかと思われます。

これは単なる私見なので、詳しい方がいたらコメント欄からご教授願います。

まとめ

「三」は「サン」にあらず?!ということで、漢数字の三には数字の3以外にも「三尊」の略として「君、父、師」のことを指しているということについて見てきました。

普段見慣れた言葉でも、漢文などを読んでみると意外な意味を持っているものがあるので、そこが中国語というか漢字の魅力のひとつかと思います。

参照

「三」(百度百科)

「仨」(百度百科)

『漢晋春秋』「後主」(維基文庫)

『国語』「晋一」(維基文庫)

【故事成語】乐不思蜀

故事成語である「乐不思蜀」( lè bù sī shǔ )のちょっと詳しい内容については以下の記事にまとめていますので、ぜひ合わせて読んで見てくださいね。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「miho.panda」さん - パンダ

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