【故事成語】杞人忧天( qǐ rén yōu tiān )

目次
杞人忧天( qǐ rén yōu tiān ):あらすじ


昔、天地が崩れ落ちてしまったらどうすればいいか悩んでいた人に、そんなことはあり得ないよと教えて安心させたという話。
杞人忧天( qǐ rén yōu tiān ):故事
春秋戦国時代の杞国に、天地が崩れ落ちたらどこに隠れればいいのかと、夜も眠れず食事も喉を通らないほど悩んでいる人がいました。
また、その人を見て心配になっていた人がいました。
その人は天地が崩れ落ちるのを心配している杞国の人のもとへ行くと言いました。
「天は気体が集まっただけのもの、空気はいたるところに満ちている。あなたはいつもその空気の中で生活してるわけだから、天が落ちて来るなんて心配する必要はない」
すると杞国の人は言いました。
「天が気体であるなら、太陽や月、星は落ちてこないのか」
すると、それに対してこう答えました。
「太陽や月、星は空気中で光っているものだから、たとえ落ちてきたとしても大丈夫だ」
また杞国の人は尋ねました。
「もし地が崩れたらどうすればいいのか」
それにはこう答えました。
「地は土のかたまりが集まったもので、四方いたるところに満ちている。歩いたり飛び跳ねたりしていつもその上で生活をしているのに、崩れるわけがないではないか」
この話を聞いた杞国の人は安心して喜ぶと、その様子を見て、慰めていた人も安心しました。
杞人忧天( qǐ rén yōu tiān ):意味
「杞人忧天」は、「取り越し苦労」や「余計な心配」という意味になります。
出典《列子・天瑞》
《列子・天瑞》:杞国有人忧天地崩坠,身亡所寄,废寝食者;又有忧彼之所忧者,・・・・・・

今回の「杞人忧天」の故事は『列子』の「天瑞」に登場します。
『列子』とは別名を『沖虚経』ということもあり、戦国時代初めころの列子(紀元前450~紀元前375年)の著と言われていますが、原著自体は前漢以降に失われてしまったと考えられていて、現存する『列子』は晋の時代に編纂されたものと言われています。
『列子』はのちに道教の経典のひとつとなり、唐代には『(老子)道徳経』や『荘子』『文子』とならび道教の四大経典とされました。
この『列子』からは多くの寓話や故事成語が誕生しており、日本語でもおなじみの「愚公山を移す」や「男尊女卑」、「朝三暮四」などがあります。
「愚公山を移す」の「愚公移山」( yú gōng yí shān )や「男尊女卑」( nán zūn nǚbēi )については下記の記事に詳しくまとめていますので、ぜひ読んでみてくださいね。
『列子』の「天瑞」に登場する杞人に関する故事の日本語の現代語訳については、下記の「古今名言集」さんで読むことができますのでどうぞ参考にしてみてくださいね。
杞国の人、天地崩墜して身の寄るべき所亡きを憂ふ(列子 – 天瑞[13])
杞国の人、して身の寄るべき所亡きを憂へ、寝食を廃する者あり。 …
実際に『列子・天瑞』に登場するこの故事を読んでみて気付いたと思いますが、この故事には続きがあって、「長蘆子」と「列子」との対話がでてきます。
「長蘆子」とは楚国出身で、列子と同じく道家の人物になります。
杞国の人が天地が崩れたらどうしようかと悩んでいる故事について長蘆子と列子はそれぞれ意見を言い合います。
長蘆子は、「実際にそうなった時には不安になるだろう」と言いました。
しかし、それを聞いた列子は笑って「崩れるかどうか心配するなど無意味だ」と反論しました。
かなり端折ってしまいましたが、詳しい内容については先ほどの「古今名言集」さんの現代語訳を読んでいただきたいです。
長蘆子は天地というのは崩れてしまうものだとしていますが、天地が崩れるかもしれないと心配したり、逆に天地なんて崩れるわけがないと主張している人を否定しています。
つまり、故事に登場する杞国の人と、それを慰める人を両方否定しています。
ただ、天地が崩れるとなったらやはりその時は不安になるというのが長蘆子の意見になります。
対して列子はというと、天地が崩れるかどうかなんていうのはそもそも我々にはわからないとしています。
そして、生きている時には死については分からないし、その逆もまたしかりであって、「来」は「去」を知らないし、その逆もしかりな訳だから、天地が崩れていない中で崩れることを考えても意味がないというのが列子の意見になります。
ここでの「来」と「去」は単純に「行き帰り」のことを指しているのかもしれませんし、「未来」と「過去」について言っているのかは分かりませんが、そこは想像にお任せします。
つまり列子は、「分からないこと」や「分かりもしないこと」と、自分自身をわざわざ結びつけて考えるなんて超絶ムダだよねと言っているわけです。
そんなこと考えて心配して人生がつまらなくなるよりも、「今」をしっかり見つめて生きるほうが遙かに重要なのではないかということなのだと思います。
ちょっと深堀り
今回の故事成語である「杞人忧天」の伝説は中国の無形文化遺産リストにも登録されています。
中国には「国家级非物质文化遗产名录」(国の無形文化遺産リスト)というものがあり、国務院(日本の内閣に相当)が承認し、文化旅游部(日本の文科省と観光庁に相当)が決定・公布する無形文化遺産リストのことです。
中国の無形文化遺産の保護業務を規範化するために国務院は「关于加强文化遗产保护的通知」(文化遺産保護の強化に関する通知)を通達し、各地方政府や関連機関に対して文化遺産の保護や活用などについて徹底的に実施するよう求めたことでリストが作成されることになりました。
2006年~2014年までに4期に分けて登録が行われて、現在までに1372件が登録されています。
音楽や舞踊、演劇、工芸技術、行事など10のカテゴリーに分けられて登録されており、日本でもおなじみの「太极拳」や、「爆買い」という言葉とともに日本人にもおなじみとなった「春節」、また「七夕」、「針灸」、「中国将棋」なども登録されており、「西施の顰みにならう」という故事成語でもおなじみの「西施」の伝説も登録されています。
「西施の顰みにならう」は中国語で「东施效颦」と言いますが、詳しくは下の記事にまとめてありますので、よかったら読んで見てくださいね。
例文
典型的悲观论者喜欢杞人忧天、自寻烦恼。
外星人毁灭人类的都市传说只不过是杞人忧天而已。
有些人担心“三又又三”不会向“宫迫”还钱,别那么杞人忧天了。
天气预报说今天不会下雨,你却带伞出门,真是杞人忧天了。
你还小就担心自己会不会结婚,不要杞人忧天了。
類義語
庸人自扰( yōng rén zì rǎo ):事もないのに空騒ぎする、自ら面倒を引き起こす
杯弓蛇影( bēi gōng shé yǐng ):疑心暗鬼、杯中の蛇影(だえい)
対義語
无忧无虑( wú yōu wú lǜ ):憂いもなく心配もない
若无其事( ruò wú qí shì ):何事もなかったようにけろりとしている、平然としている、平気である
기우(杞憂)
韓国語では「杞憂」や「杞人忧天」は「杞憂」をそのままハングル読みして「기우」(キウ:杞憂)といいます。
詳しくは以下の記事にちょっと詳しく【韓国語】기우(杞憂)まとめていますので、よかったら読んで見てくださいね。
杞人が杞憂していた本当の理由
杞国の人が杞憂していた理由については「天地が崩れ落ちる」以外にも当時の時代背景や出来事などから「隕石説」や「他国からの侵略説」などさまざまな説があります。
以下の記事にまとめてありますので、ぜひ読んでみてくださいね!!
「杞憂」のスピンオフ?!「杞人忧钴」とは
2009年夏のある日、河南省開封市の杞県の住民が一斉に避難を始めたことで交通機関がマヒするなどの大混乱が生じました。
原因は、とある工場にあった「コバルト」という物質。
地元政府は記者会見を開いて事態の収拾を図ろうとしたものの、混乱に拍車がかかるだけでした。
現代版「杞憂」とも言われた「杞人忧钴」は下の記事にまとめてありますので、興味のある方は合わせてぜひ読んで見てくださいね。
「杞国」の名称の由来
杞国の国名の由来について解説していますのでぜひ読んで見てくださいね。
参照
「列子-天瑞[13]」(古今名言集)
イラストレーターの皆さん
この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。
・「せいじん」さん - ネコ
・「miho」さん - パンダ
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