「杞国」の名称の由来は「柳」だった?!

「杞憂」誕生の地

「取り越し苦労」という意味で日本人にもおなじみの「杞憂」。

これは今から約2500年以上前の春秋戦国時代に存在していた「杞国」で起こったとされる出来事が故事の由来になっています。

当時、杞国に天地が崩れ落ちてしまうのではないかと心配していた人がいたのですが

その様子を見ていたある人が、それはあり得ない話だよと優しく教えてあげる話になっています。

詳しくは下の記事にまとめてありますので、良かったら読んでくださいね。

また、この杞国の人が心配していたのは「天地が崩れ落ちる」ことではなくて、別に理由があったとも言われているのですが

それについても以下の記事にまとめてありますので、興味があったら読んで見てくださいね。

「杞国」とは

杞国とは周代初めから戦国時代初め(紀元前11世紀頃~紀元前5世紀頃)にかけて存在していた諸侯国のことです。

周代以前の夏代から存在していて、一旦は滅びたものの、「大禹治水」で功を挙げた大禹の末裔であった「東楼公」が周の武公により杞の地(現在の河南省杞県一帯)を封じられことにより杞国は再興することとなりました。

夏代の建国時から数えると実に1500年以上にわたって存在していたことになります。

「東楼公」に始まり「簡公」の代である紀元前445年に楚国により滅ぼされるまで20代にわたり存続したとされています。

小国であったため『史記』の「陳杞世家」での記述も300字足らずで、詳しいことはあまり分かっていませんが、宋国などといった周辺国から度重なる侵入を受けては遷都を繰り返したとされています。

その後、紀元前445年の「簡公」の時代に楚国により攻め滅ぼされてしまいました。以上が杞国の誕生から滅亡までの歴史になります。

そんな歴史ある杞国ですが、では、なぜ国名が「杞」なのでしょうか。

それについて調べていくとそのことについて触れていた記事がありましたので、今回はその記事内容を参考にしながら「杞国の国名の由来」についてちょっと深掘りしてまとめてみました。

河南杞县,曾经是杞国所在地,“杞人忧天”的故事就发生在这里

(かつて杞国があった河南省杞県、そこで起こった“杞憂”の故事)

上記記事では、杞国の名称の由来を「柳」であるという説と、夏王朝2代帝の「啓」であるという2つの説が書かれていますが、この記事では前者の「柳説」のみを解説していきたいと思います。

名称の由来:柳説

「柳」というと枝を地面まで垂れ下げた「シダヤナギ」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

「風見草」「遊び草」とも呼ばれる柳は、全世界で約350種あり、主に北半球に分布しています。

中国では、「“三北”防护林工程」(“三北防護林プロジェクト”)というプロジェクトが1979年から70年計画(第1期~第8期)で進められています。

これは三北(東北、華北、西北地域)で進行している砂漠化や土壌浸食、森林資源の枯渇を防ぐため政府主導で行っている植林活動のことです。

その植林活動で利用されているのが、砂漠のような厳しい環境でも生き延びられる「沙柳」( shā liǔ :さりゅう)という柳の一種になります。

「沙柳」とは中国の三北(東北、華北、西北地域)に分布する柳で、耐乾・耐暑・耐寒などに優れているだけでなく、挿し木で簡単に増やすことができることから、砂漠の緑化に最も利用される植物のひとつになります。

国家林業・草原局(自然資源部)によると約40年にわたる活動により、これまでに約3000万ヘクタールに及ぶ面積の保全に成功し、2020年8月時点で、まもなく第5期が完了する見通しとのことです。

また、柳のうち、工芸品の原材料のひとつとして利用されているのが「杞柳」( qǐ liǔ )という柳になりますが、日本語でいうところの「コリヤナギ」(行李柳)になります。

「杞柳」はヤナギ科の落葉低木で、日本や朝鮮半島などにも分布しており、中国では山東省を初め、河北省や東北地方に広く分布しています。

その「杞柳」を用いた民間の伝統手工芸品に「柳编」( liǔ biān : 柳織り、柳編み、柳細工)というものがあります。

「柳編」とは、柳などの細い枝を編むことによって作るカゴや手カゴ、腰掛けなどの手工芸品のことで

2008年と2011年には新疆ウイグル自治区や山東省、河北省、安徽省に伝わる「柳編」の伝統技術が、「国家级非物质文化遗产名录」(国家級無形文化遺産リスト)に登録されています。

詳しくは以下の「中国非物质文化遗产网」(中国無形文化遺産ネット)の「柳編」の検索結果のページから読んで見てくださいね。

国家级非物质文化遗产代表性项目名录 – 中国非物质文化遗产网·中国非物质文化遗产数字博物馆

建立非物质文化遗产代表性项目名录…

ちなみに、「柳細工」というと日本では一般的に「杞柳」(コリヤナギ)を用いたものを指しますが

中国の柳細工である「柳編」は、「杞柳」(コリヤナギ)とは別の品種の柳や、柳以外の植物を用いたものも指すので

同じ「柳細工や柳織り、柳編み」でも、両国の生活環境などによってその概念がいくぶん異なるようです。

ちなみに日本には、兵庫県の「豊岡杞柳細工」という国の「伝統的工芸品」に指定されている杞柳細工があります。

豊岡市などで生産されていて、1200年以上の歴史を持つ伝統ある工芸品になります。

この「柳編」の三大「生産基地」となっているのが湖北省、山東省、安徽省です。

いずれも「柳編」の伝統技術が無形文化遺産として登録されている地域がある省になり、また、河南省を含める場合もあります。

中国の農村部の中には、昔から「柳編」と生活が密接に結びついてきた歴史をもつ地域もあり、そのうちのひとつが、山東省南部、河南省との境に位置する「曹県」になります。

曹県で作られる「曹県柳編」の原材料となる柳は「杞柳」と呼ばれる柳で、日本で言うところの「コリヤナギ」になります。

さて、この曹県という地域では伝統的に地元で「杞柳」を栽培していて、それを自分で編んだり職人に依頼して編み上げてもらっており、曹県で作られる「柳編」には、カゴや手カゴ、動物をかたどった入れ物や壁に掛ける飾りなどをがあります。

また、曹県以外の地域でもそうなのですが、この「柳編」の技術については伝統的に「传男不传女」(伝男不伝女)とされていて、男性のみにその技術を伝承する「父子相承」という形が一般的になっています。

そのような形で現在まで受け継がれて来た訳ですが、自分の娘にも技術を教えているケースもあるようなので、一概に“女人禁制”という訳ではないようです。

だいぶ前置きが長くなりましたが、ここから杞国の名称の由来についての話になります。

「柳編」の生産基地であり、「杞柳」の盛んな栽培地でもある山東省曹県ですが、そこから西に約50㎞離れたところに、河南省開封市「杞県」があります。

ここ杞県は昔から「杞柳」の栽培が盛んであったということから、曹県同様に「杞柳」を栽培して「柳編」を作ってきた歴史があり、「杞県柳編」という特産品があることでも知られています。

そこから、杞国という国名の由来がこの「杞柳」であると言われています。

出典は不明なのですが、この「杞県柳編」の起源には次のような物語があります。

唐の時代、ある若者が魚を捕ろうと投網を投げると、キラキラと金色にきらめく一匹の金魚がかかりました。

その金魚は網にかかったまま逃げようとしたので、若者は投網を引っ張りましたが、金魚の力が思いのほか強く、若者は投網と一緒に水中に引っ張られていきました。

すると突然、水と金魚が消えたかと思うと、美しい花園が目の前に現れました。

そこには、ひとりの美しい娘がいました。

どうやら、その金魚は単なる魚ではなく、海の「龙女」( lóng nǚ:竜女)でした。

この若者の働きぶりはたいへん良く、また同情心にも溢れているということで周囲の人から評判も良かったので、竜女はその若者を気に入り、結婚することにしました。

若者は岸へと送り返されると竜女を待ち続けました。その後、竜女は「千金」という子どもを生みましたが、よく泣く子で、どうあやしても泣きやみませんでした。

ある日、竜女は柔らかくて細長い柳の枝を見つけると、その切り取った枝の皮を剥いでカゴを作りました。そして、その中に自分の子どもを入れると、不思議と泣き止みました。

その後、若者は竜女と一緒に柳の枝でカゴを作るようになり、嫁入りをする人たちに送るようになったと言われています。

以上が「杞県柳編」の起源となった物語になります。

ここから、「杞県柳編」を発明したのは竜女となるのですが、彼女自身、婚約の際に「彩礼」(婚約の際に相手に送る物品のこと)を送っていませんでした。

そこで、「杞県柳編」の作り方を伝授することでその埋め合わせとしたいということから、一般的に、「杞県柳編」は竜女の夫であるその若者が創始者であると言われています。

また、このふたりを紀念するために「柳毅庙」( liǔ yì miào )が造られたとされています(ただ、杞県に柳毅廟があるかは不明)。

まとめ

河南杞县,曾经是杞国所在地,“杞人忧天”的故事就发生在这里(かつて杞国があった河南省杞県、そこで起こった“杞憂”の故事)の記事を参考にまとめてきました。

ただ、「杞県柳編」の起源に関する物語ですが、これは山東省臨沂市臨沭県 (りんじゅつけん)柳荘村にある「柳毅廟」にまつわる伝説に近いものがあります。

「柳毅廟」とは柳枝の織り方を伝えたとされる竜神「柳老爺」などを祭っている社のことで、柳荘村では農暦3月3日は「柳老爺」生誕の日であり、社を建てた記念日とされています。

毎年の農暦3月3日、その日は村人たちやその社に信仰のある人たちが各地から集まって香を焚いてお参りをする「香火」をしたり、さまざまな催し物が行われたりします。

このことについて解説するとまた長くなってしまうので、別の記事として書きたいと思います。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「miho」さん - パンダ

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