【故事成語】旁若无人( páng ruò wú rén )

旁若无人( páng ruò wú rén ):意味

「旁若无人」は、日本語でもおなじみの「傍若無人」という意味になり、「周囲に人がいないかのように騒いだりして勝手気ままに振る舞うこと」や、そのような様をいい、まさに「眼中に人なし」であることを形容します。

傍若無人には「相手に迷惑をかける」というニュアンスが含まれます。

また、中国語の「旁若无人」の場合は人目をはばからずに傲慢な態度をとることを形容する以外にも、誰も見ていないかのように態度が自然である様を形容することもあり、他人の態度や反応を気にせずに何かすることを意味することもあります。

この「旁若无人」の訳し方としては「傍若無人である」以外にも、「他人など眼中にない」や、状語として用いた場合は「あたりをはばかることなく」といった訳し方があります。

同じく自由に振る舞う様を形容する言葉として、気取らずにありのままで無邪気であることを意味する「天真爛漫」や、人の目などを気にしないで自分の思うように行動することを意味する「自由奔放」などがあります。

ちなみに、百度百科などでは「旁若无人」ではなく「傍若无人」となっています。

旁若无人( páng ruò wú rén ):あらすじ

戦国時代末期、荊軻(けいか)という人物は市中で酒を飲みながら声を出して泣いていたという話。

旁若无人( páng ruò wú rén ):故事

戦国時代末期、衛国生まれの荊軻(けいか)という人物がいました。

彼の祖先は斉国の人で、後に衛国に移り住むことになり、衛国の人は荊軻を「慶卿」と呼んでいましたが、燕国の人は彼のことを「荊軻」と呼んでいました。

荊軻は書をよく読み、また剣術を好んでいて、衛国の元君に自らの政治的な考えを説きましたが受け入れてはもらえませんでした。

そんな中、秦国が魏国を攻めると20城を攻略して東郡を設置したため、衛国の元君は野王(現在の河南省沁陽市)に遷都しました。

その後、燕国にやって来た荊軻は、宰狗(犬の屠殺)を生業とする男と筑(打弦楽器の一種)の名手だった高漸離(こうぜんり)と親しくなると、毎日のように彼らと市中で酒を酌み交わしました。

生酔いに酔っ払うと、高漸離は筑を撃ち、荊軻はそれに合わせて歌を歌いながら楽しんでいましたが、しばらくすると、あたかもその傍らには誰もいないかのように、ふたりとも声を出して泣いていました。

荊軻は酒好きの人たちに混じっていたとはいえ、その人となりは物事に動じることはなく、穏やかで落ち着いていた人物でした。

彼が遊説していた諸侯国ではいずれも賢人や豪傑たちとの交流があり、燕国に来てからは処士(才徳がありながらも仕官せず隠居している人)の田光も荊軻のことをこころよくもてなし、凡人ではないことを理解していました。

その後、秦国に人質として送られていた燕の太子丹が燕国に逃げ帰ってくると、秦王政(後の始皇帝)の復讐を考えつき、田光の推挙により荊軻が刺客として秦国に送り込まれることになりました。

しかし、秦王政暗殺は失敗に終わってしまい、荊軻はそのまま帰らぬ人となりました。

出典《史記・刺客列伝・荊軻伝》

《史记・刺客列传・荆轲传》荆轲嗜酒,日与狗屠及髙渐离饮於燕市,酒酣以往,髙渐离撃筑,荆轲和而歌於市中,相乐也,已而相泣,旁若无人者。

今回の故事成語である「旁若无人」( páng ruò wú rén )は、日本語でもおなじみの「傍若無人」という意味で、出典は司馬遷の『史記』「刺客列伝・荊軻伝」になります。

荊軻は書をよく読み剣術を好んでいたことが同伝には記述されており、各国を遊説して回っていましたが、自身の出身である衛国の元君にも遊説しましたが採用されることはなく、そのまま燕国に赴きます。

そこで出会ったのが狗(いぬ)の屠殺人と筑の名手である高漸離でした。

市中で酒を酌み交わしては、酔うと高漸離の筑の演奏に合わせて荊軻は歌を歌うと、人目もはばからずに泣いていたことが「傍らに人無きが如し」(傍若無人)だったと同伝には記載されており、今回の故事成語の出典となりました。

その後、田光(日光先生)に厚遇で迎え入れられると、秦国に人質として送られていた燕太子丹が燕国に逃げ帰ってきます。

太子丹が秦国から逃げ帰ってきた理由として、ともに人質として趙国の邯鄲で生活しており交友関係があったにもかかわらず、秦国では秦王政から冷遇されたためだと一般的にはいわれています。

『戦国策』の「燕策三」の注釈部分には、「鮑彪(ほうひゅう)の『戦国策注』(『国策』)によれば秦国からの扱いが良くなかったためと言われている」と書かれています。

ちなみに、太子丹は初めから秦王政の暗殺を考えていたわけではなく、魯国の将軍だった曹沫(そうかい)が斉王を匕首(あいくち、小剣)で脅して今まで奪われた領土を取り戻させたのと同じことを秦王政にもしようと考えていました。

つまり、秦王政を同じように脅迫することで燕国のみならず、秦国によって奪われてしまった各諸侯国の領土も同時に取り戻させるという計画でした。

もしも、秦王政がその脅しに屈しないようであれば、最終的には殺害してしまえばいいという感じで、脅迫によって諸侯たちへ領土返還の条件を飲ませることが第一の目的でした。

ちょっとやそっとの理由では秦王政は自分に会ってはくれないだろうと考えていた荊軻は確実に秦王政に接見できるようにと、秦国から燕国に逃げ込んできた樊於期(はんおき)の首級と、献上すると偽った燕国の領土が描かれた地図を用意しました。

それらを携えて秦国に赴くと、賄賂を贈って取り込んだ秦王政の寵臣の口添えもあって、荊軻はついに秦王政に接見することができました。

樊於期の首級と献上予定の領土が描かれた地図を目の前にして秦王政は大喜びしましたが、荊軻が巻物の地図を秦王政の目の前で開いていくと、巻物に隠してあった匕首が突如として姿を現しました。

そして、荊軻は左手で秦王政の袖を掴みながら右手に握った匕首を刺し出しました。

しかし、匕首は虚しく空を切ってしまい、匕首を片手に秦王政を追いかけ回していた荊軻は秦王政の長剣によって太ももを斬られると、そばにいた者にとどめを刺されてしまいました。

こうして荊軻の暗殺は失敗に終わってしまい、それから数年後には燕国も秦国によって滅ぼされてしまいました。

ちょっと深掘り

荊軻が燕国に来てからよく一緒にお酒を飲んでいた仲間のひとりに「狗屠」がいたと記述されていますが、この狗屠(くと)とは「食用として供される犬を屠殺することを生業とする人」のことを指します。

戦国時代から漢代にかけて犬の屠殺を専門とする業者も存在していたとされています。

Wikipedia「犬食文化」によると、現在の中国大陸では貴州省や吉林省の延辺朝鮮族自治州などを除いて犬食はほとんど廃れてしまっていますが、新石器時代には食肉用の犬が大量に飼育されていたとあります。

ちなみに香港では、イギリスからの植民地支配を受けていた影響もあって「猫狗条例」が制定されており、犬や猫の屠殺、犬や猫の肉の販売および使用が禁止されています。

また台湾では、2001年に制定された「動物保護法」により、犬や猫の屠殺が禁止されているのみならず、屠殺体や内臓、それらを含む食品の販売、購入、食用および所持も禁止されています。

東南アジアなどの一部地域でも安価なタンパク源として犬食が存在し、犬肉の取引もされているようです。

高漸離が撃つ筑に合わせて荊軻は歌を歌っていたとありますが、この筑(ちく)とは戦国時代から唐代に広く流行した打弦楽器のことで、高漸離はその名手としても知られていました。

筑は形が琴に似ているものの(実際にはクリケットバットのような形)、琴や箏のように弾奏するのではなく、左手で弦を押さえて右手に持った竹の棒で叩きながら(撃ちながら)演奏します。

弦の本数については文献によって異なるようで、5本、13本、21本と記述されているようです。また、琴や箏は普通は体に対して横向きに置いて演奏しますが、筑は形こそ琴などに似ていますが、体の正面に縦に置いて演奏するようです。

一説では、朝鮮の伝統楽器である「コムンゴ」(거문고:玄琴、玄鶴琴)の誕生に影響を与えたと言われており、朝鮮の三国時代について書かれた『三国史記』によれば、コムンゴ(玄琴、玄鶴琴)は高句麗の第24代君主である陽原王の宰相だった王山岳が中国の晋人によって持ち込まれた古琴を改造して作ったとされています。

その晋人が持ち込んだとされるのが筑だとも言われているようですが、『三国史記』には「晋人が“七弦琴”を高句麗に送った」と記述されていることから、本当にその古琴が筑だったのか真偽のほどは定かではありません。

例文

旁若无人地大声打电话。

(彼は人目をはばかることなく大声で電話をしている)

旁若无人地大吃大喝起来。

(彼はあたりをはばかることなく派手に飲み食いしだした)

她们在图书馆里聊天,旁若无人

(彼女たちは図書館でおしゃべりをしていて、眼中に人なしだ)

類義語

目中无人( mù zhōng wú rén ):眼中に人なし、非常に傲慢である、尊大で傲慢である

厚颜无耻( hòu yán wú chǐ ):厚顔無恥

対義語

勉強中・・・・・・

参照

『史記』「刺客列伝・荊軻伝」(維基文庫)

『戦国策』「燕策三」(維基文庫)

Wikipedia「犬食文化」

「筑」(Wikipedia中文)

刺客としての荊軻

『史記』の「刺客列伝」に伝が立てられていることからも分かるとおり、荊軻は刺客として秦国に赴いて秦王政(後の始皇帝)を暗殺しようとします。

それがもとになってできたのが「图穷匕见」( tú qióng bǐ xiàn )という故事成語になり、「最後になって初めて真相や真意が明らかになる」という意味になります。

これは巻物に描かれた地図を秦王政に開いて見せる時に、巻物の最後の部分に忍び込ませていた匕首(または巻物の芯に隠しておいたとも)で秦王政を暗殺しようとしたところからきています。

詳しい内容については下の記事「图穷匕见」( tú qióng bǐ xiàn )にまとめてありますので、ぜひ合わせて読んで見てくださいね。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「せいじん」さん - ネコ

「miho.panda」さん - パンダ

「にゃんこ先生」さん - ぷんぷんマーク

「とまこ」さん - 衝撃マーク

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