男尊女卑( nán zūn nǚ bēi )は「ダンソンジョヒ」にあらず?!

男尊女卑(ダンソンジョヒ)とは

「男尊女卑」とは「男を重んじて女を見下す態度や思想、風潮」という意味になり、また、特に「封建社会において女性の権利が男性よりも著しく制限されること」も指します。

そういうものの根底には「男性は尊い存在で、女性は卑しい存在」という考え方があるからとされていますが、では、なぜそうなってしまったのかというと、狩猟時代を含めて昔から男性は狩りや農作業をしたり戦争に行ったりしていて「外」に向かう傾向があり

女性はどちらかというと家事や子育てをして「内」にいると言うことが多かったため、結果として男性の権利が女性よりも強くなってしまったためと考えられています。

現代では女性の社会進出というのは極当たり前のことなので、「なんで職場に女性がいるの?」などと考えもしないわけですが

女性に対して差別的な見方はないものの、やはり女性が社長をしていたり会社の重要なポストに就いていたり、政治家で女性の大臣が活躍しているを見ると、「おぉ何かすごいなぁ」と思ってしまいます(←これも男尊女卑?www)。

これはきっと男尊女卑とかそういう考え方が根底にあるのではなく、どこかそういう固定概念みたいなものがあるからなのかもしれません。

それは例えば「ウォーターボーイズ」を映画やドラマで観るまでは、「シンクロ」は女性がやるものだと思っていたのと同じと考えれば分かりやすいかもしれません。

男尊女卑( nán zūn nǚ bēi )とは

中国語で「男尊女卑」は「男尊女卑」( nán zūn nǚ bēi )といい、出典は『列子』「天瑞」に出てくる故事がもとになっています。

その故事では、孔子が「栄啓期」というおじいさんにそんなに楽しそうにしている理由は何なのかを尋ねるのですが、栄啓期がその理由を答えていく中で「男尊女卑」という言葉を使います。

この世の楽しみ、喜びである「三楽」(さんらく)

つまり、「人間として生まれたこと」、「男として生まれたこと」、「90歳まで生きられたこと」が栄啓期にとってはいつも愉快でいられる理由だと孔子に語ります。

詳しい内容については下記の記事「男尊女卑」にまとめてありますので、ぜひ読んで見てくださいね。

「男尊女卑」の本来の意味

さて、この「男尊女卑」という言葉の故事についてざっと触れましたが、そもそもこの言葉は本当に孔子本人の思想から来ているのでしょうか。

私も以前読んだ何かの本で「男尊女卑という考えの根源は孔子だ、儒教だ!!」と断罪(?)しているのを読んだことがありますが、その時は「へぇ~孔子ってそんな人だったんだなぁ」とちょっと落胆してしまった記憶があります。

そもそも孔子自体、世が乱れている中で時代錯誤的な「礼」の重要性を説いて各国の君主などから煙たがられていたイメージが強いですし、孔子もそれにより何度も命を狙われたりしているので、そのせいもあるかもしれません。

実際、「西施の顰みにならう」という「东施效颦」の故事もそんな時代錯誤の感覚を持つ孔子を批判する例え話のひとつとして出てきます。

詳しくは下の記事「东施效颦」を読んでみてくださいね。

そんな孔子ですが、いろいろと調べていくと、孔子は「男尊女卑」という考えがなかったどころか、そもそも「男尊女卑」という言葉を使ったことすらなかったようで、むしろ「男女は適材適所がいい」という考えだったようです。

ということで、まずはその誤解の元となったであろう部分から見ていきたいと思います。

出典《易経・系辞上伝

《易经・系辞上传》:天尊地卑,乾坤定矣。卑高以陈,贵贱位矣。

「男尊女卑」という故事成語の大元になったのは『易経』になります。

『易経』(えききょう)とは宇宙の法則を陰陽2つの要素の変化によるものと説いている書のことで、もともとは占いに用いられていたものを孔子がまとめたといわれており、特に周の時代に流行したと言われています。

『易経』は別名を『周易』(しゅうえき)と言うこともあります。詳しくはWikipedia「易経」を読んで見てくださいね。

「易経」という字の意味については「周代の占いの書」「変化」の2通りの解釈があり、英語では後者の解釈を採用したことから「易経」は英名を「The book of changes」といいます。

また、『易経』は『連山』(れんざん:夏代に行われた占いの方法)、『帰蔵』(きぞう:殷代に行われた占いの方法)と合わせて「三易」(さんえき)と言います。

つまり、夏王朝の占いの方法は「連山」、殷王朝の占いの方法は「帰蔵」、そして周王朝の占いの方法は「易経」に書かれているということになるのですが、現存するのは「易経」のみになるとのことです。

その『易経』は本文を記した『経』と、本文の解説を記した『伝』の2部からなります。

『伝』は7種10篇からなり、「十翼」(じゅうよく)とも呼ばれており、もともとは孔子の著とされ、戦国時代から秦・漢の時代に成立したと考えられています。

その「十翼」のひとつが「男尊女卑」という故事成語の大元になった部分が含まれる上下2篇からなる「繋辞」です。

「易経ネット-『易』の構成」に詳しい解説が載っていますので読んで見てくださいね。

その「易経ネット」さんの解説を引用すると「繋辞」とは次のような内容になっています。

「繋辞伝」は、易経の意義、成立、陰陽の原理、筮法などを説いたもので、総論的な役目をしています。

引用元:https://ekikyo.net/contents/kousei.html

つまり、孔子(と言われる)が『易経』を読んで勉強した後にそれをわかりやすくまとめたのが『易経・繋辞伝』になるというわけです。

その「繋辞・上」の第一章の初めの部分に出てくるのが「天尊地卑,乾坤定矣。」となります。

「天尊地卑」の意味としては「天は高く地は低い」となり、「乾坤定矣」は「(これにより)乾と坤が定まる」となります。

ここで注目していただきたいのが最初の「天尊地卑」という部分です。

字だけ見ると「天は高く尊いもので、地は低く卑しいもの」という意味に解釈しそうになりますが、意味としては「天は高く、地は低い」という自然の客観的事実を述べているに過ぎません。

つまり、「天高地低」「天上地下」ということになります。

また、古代中国では「尊」には「(位置が)高い」という意味があり、「卑」には「(位置が)低い」という意味がありましたが、それが時代の変化とともに漢字の意味も変わってしまったため

結果として「男尊女卑」本来の意味が消えて誤解を招く遠因となったのではと思われます。

そして、「乾」とは「天、君子、男、父など」を表しており、「坤」とは「地、妃妾、女、子など」を表しています。

また、「天尊」の意味は「天は高くて広く、公正無私である」であり、「地卑」とは「地は安定し親しみがあり、浄汚貴賤を区別しない」という意味になります。

つまり「男尊」とは「男は天のように品格を高く保ち正直であること、人に尊敬され尊重されるような存在になること」を意味し

「女卑」とは「女は地のように控えめで穏やかに、寛容であること、人に親しみを感じるような存在になること」を意味していると言われています。

要するに孔子が言いたかった「男尊女卑」というのは、「男性には男性の特質があるし、女性には女性の特質があるからこれによって家庭や社会での役割が決まって自ずと調和がとれて安定するよ」ということだと思われます。

なぜなら、『易経』の核心的な考え方が「陰陽のバランスや調和」であり、自然の法則はそれが影響し合って成り立っているとされているからです。

「であれば、人間の家庭も社会も同じことが言えるよね」と孔子は言いたかったのではないかと思います。

つまり、君子なら君子らしく、臣下なら臣下らしく、父なら父らしく、子なら子らしく、適材適所、それぞれの「立場」によって振る舞うべきであるということだったのではないでしょうか。

そうすれば男も女もそれぞれの立場に応じた役割を認め合って尊重しあうようになるというわけです(現実はうまくいかないですが)。

しかし、それが後世の人により都合のいいように解釈された結果、支配者は男尊女卑の考え方を封建社会を正当化するための道具として利用し、現代においてはその負の遺産により長い間ずっと虐げられてきたとされる女性がさまざまな場面での権利拡大を訴えるための「旗印」として利用することとなってしまいました。

しかもそれが約2000年にもわたって誤解されてきたと考えるとなかなか面白いのではないでしょうか。

ちなみにこれは私個人の考えなのですが、この「男」と「女」というのが生物学的な意味での男女という意味ではなく、「男性性」「女性性」という意味だとしたらどうでしょうか。

「男性性」というのは、簡単に言えば男らしさのことであり、イメージとしては攻撃的で論理的で、決断力のある感じでしょうか。

対して「女性性」というのは女性らしさのことであり、イメージとしては包容力があって優しい、柔軟性があるという感じになります。

一般的には男性のほうが男性性が強く出て、女性のほうが女性性が強く出ると言われていますが、これは男女関係なく、その両方どちらも備わっているとされています。

私の場合で言えば、人を引っ張っていくタイプではないですし、どちらかというとおとなしくて“ちょっと優しすぎる”従順なタイプなので、感覚的には女性性のほうが割合的に多いのではないかと思っています。

また、いろいろな分野で活躍する女性が雑誌やテレビなどのメディアで取り上げられるのも「女性の社会進出」や「女性の権利拡大」という風潮の結果だと思います。

ただ、見方を変えてしまうと、「女性なのにこんなことやってるんですよ、すごいですよね」と言っているような気がして、どうも個人的には心の中にすっきりしないものが残ることがあります。

女性がその持っている個性を発揮してどんどん社会進出するのは悪いことではないですが、男女同権、男女平等という観点から言えば果たして本当にそのままでいいのかなと思います。

なぜなら、「男尊女卑」という言葉自体、そもそも「主語」が大きすぎて抽象的過ぎるからです。

「男尊女卑」という言葉を聞くと「男性が女性を虐げている」とイメージしてしまいますし、また、「女性が男性によって苦しめられている」というイメージにもなってしまいます。

しかし、これって本当は「男性性の強い“一部の”人が女性性の強い“一部の”人を虐げている」

「女性性の強い“一部の”人が男性性の強い“一部の”人により苦しめられている」とした方が個人的には事実に合うような気がします。

学校や職場でのいじめや(冗談のような本気のような)からかいなどもそのような感じがします(もちろんすべてがそうではないですが)。

ただ、孔子が言うところの「勇」とは「義」の下位に置かれることから、どんなに行動力や勇ましさがあってもそこに愛がなければ、君子は世を乱し、小人は盗みを働いてしまうと言っています。

つまり、義にもとづかないまま男性性を強く出してしまうというのは、結果として調和やバランスを崩してしまうことになるということなのではないでしょうか。

孔子に対するもうひとつの誤解

また、孔子は『論語・陽貨篇』の中で、「子曰、唯女子与小人、为难养也、近之则不孙、远之则怨。」(子曰く、ただ女子と小人のみが扱いにくい、(関係が)近づけば不遜となり、遠ざければ恨まれてしまう)と言っています。

意訳で申し訳ないですが、ここで言う「女子」とは通説では「女性全般」のことを指しているとされていて、これも孔子が男尊女卑という思想であったとする根拠のひとつとしてよく引用される部分です。

しかし、ここに出てくる「女子」とは「君子の妾」のことを指しているという説もあれば、「教養の少ない女性」のことを指しているという説もあります。

ただ、こちらのサイトではまた違う観点から説明しているので、ざっとまとめて紹介すると

当時の女性は男性に比べて権利が著しく制限されていたことから、当然に教育を受ける機会もなく、また結婚後も夫に頼らざるを得なかったという時代背景と当時の状況から、孔子はその発言の中で「女子」という言葉を自然と持ち出したのではないかとしています。

つまり、女性と言えども人間なわけですから、情報が閉ざされていて教養もほとんどない当時の女性が男性から雑に扱われれば反発したり感情的になるのは当然のことですし、逆に優しくしすぎるとその優しさに甘えてしまうでしょうし、また遠ざけてしまえば恨まれるのは自然なことなのではないのかというわけです。

また、次の記事にも興味深いことが書いています。

“唯女子与小人难养也”到底是何意思?当年于丹就曾栽在这句话上

(“唯女子与小人为难养也”の意味とは?当時、于丹が濡れ衣を着せた一文)

“唯女子与小人难养也”到底是何意思?当年于丹就曾栽在这句话上

孔子是至圣先师,万世师表,而《论语》更是富含哲理,因此被后人奉为国学经典之首。…

「于丹」とはWikipediaによれば中国の作家であり孔子研究家の女性のことで、2006年の国慶節(中国の建国記念日)の連休中にCCTV(中国中央テレビ)の「百家講壇」という番組で7日間にわたって「于丹論語心得」の講師を務めた方だそうです。

その番組では、自らの論語に対する解釈をレクチャーし、“于丹ブーム”が起きるほど好評を得たとのことですが、その後は間違いを指摘されるなどして大きな論争を呼ぶこととなり、上の“唯女子与小人难养也”到底是何意思?当年于丹就曾栽在这句话上の記事でもその話について少しばかり触れています。

さて、この誤解を招きやすい「唯女子与小人为难养也」の一文ですが、孔子の『論語・陽貨篇』に出てくる一文になります。

“唯女子与小人难养也”到底是何意思?当年于丹就曾栽在这句话上の記事によると、まず儒家というものは「仮想の人格者」というものを作りだし、それを「君子」としました。

君子になるためにはどうするかというと「書を読むことで教養を身につける」しかありません。

一方、君子とは対照的な概念を「小人」としました。「小人」とはつまり「一般人、庶民」のことであり、「教養がない人」のこと全般をいいます。

しかし、当時の庶民には書を読んで教養を身につけるというのは難しいものでした。

そこでもう一度「唯女子与小人为难养也」を見てみます。

小人とは一般人であり庶民のことでした。また、教養のない人たちのことでした。また、当時は女性の権利が著しく制限されていた時代でもあり、女性もまた教育を受ける機会がほとんどなく見識が狭かったというのが当たり前だったと思われます。

そういう時代背景があったということを考えた時に、学ぶ機会がなく結果として教養のなかった「小人」と、権利が著しく制限されていて学ぶ機会に恵まれずに結果として教養がなかった女性を孔子が同列にして語ったというのはごくごく自然なことであり、当時の常識から考えたらおかしいことではなかったと考えられます。

分かりやすく例えれば、ほとんどの日本人からすれば犬や猫はペットであるという認識ですが、犬や猫を食べる文化のある一部地域の人からしたら、犬や猫をペットではなく他の野菜やフルーツのように「食べ物」として同列に扱うのは当然のことであって、なんら不思議なことではないというのと同じことなのではないでしょうか。

それをこっちの価値観で勝手に「それは動物虐待だ!!」などと言っているのと同じになるのかなと思います。

ちなみにこの「唯女子与小人为难养也」という発言を孔子が誰に対して話したのか分からないというのが、さらある誤解を生んでしまった原因になったのだと思われます。

また、同記事では、この「女子」という字について面白い見解を述べています。

この「女」という字は「汝」に通じることから、ここでは「お前」という意味でになり、「子」も同様の意味を表わすことから、「女子」というのは「孔子の話し手」のことを指しているのではないかとしています。

つまり、孔子は「お前みたいな教養のない人と小人は扱いづらい」と言っていたのではないかとしています。

確かに『論語・陽貨篇』の他の部分では、「女」という字が「あなた」という意味で使われているようなので、その説も一理あるのかなと思ってしまいます。

最後に

「男尊女卑」という言葉自体、現代の漢字の意味やこれまで積み重ねてきた時代の流れを生きている現代人からすれば男女不平等思想の根源であり、またその代名詞的存在に思えてしまいますが

実際にこうして調べて見ると孔子の言わんとしているところは「適材適所」「立場に合わせた振る舞い」「陰陽のバランスと調和」であり、それにより家庭や世の中の平和や安定を望んでいたんだなということが見えてきます。

とはいいつつも私も専門家ではないので偉そうには言えないですが、間違いなどがあればご指摘いただけると幸いです。

また、他にも説があれば教えていただけると嬉しいです。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「miho」さん - パンダ

chinese-mao

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