【故事成語】目不识丁( mù bù shí dīng )

目不识丁( mù bù shí dīng ):故事

あるお金持ちの息子に何日もかけて一字でも覚えさせようとしたにもかかわらず、結局、“丁”の字すら覚えられなかったという話。

目不识丁( mù bù shí dīng ):故事

昔、丁という姓のお金持ちがいました。

彼の息子は10歳を超えているのにまったく字を読むことができず、何人もの「先生」を呼んで教えてもらったにもかかわらず、誰ひとりとして字を覚えさせることができずにいました。

そのお金持ちは非常に焦り、ある掲示を出すと、そこには次のようなことが書かれていました。

「丁の息子に一字でも覚えさせられたら、銀十両を褒美として与える」

それを見たとある学者は思いました。

「いくら頭が悪いとは言え、自分の姓くらいはわかるだろう。それに、この“丁”という字は画数も少なくて覚えやすい。“丁”の字なら必ず覚えさせられるだろう。」

そして、その学者は息子の先生として採用されることになりました。

お金持ちの家でその学者は毎日“丁”という字を教えました。

9日がたったところで実力を試してみることにしましたが、その学者はお金持ちの息子が“丁”の文字を忘れないようにと一本の釘を持たせました。

そして、“丁”の文字を書いて尋ねました。

「これはなんと読むでしょうか」

お金持ちの息子はしばらく字を眺めましたが、思い出せませんでした。

学者は尋ねました。

「今その手に持っているものは何ですか」

お金持ちの息子は答えました。

「これは鉄の棒です」

それを聞いた学者は地団駄を踏んで言いました。

「そなたの目が“丁”の文字が分からなくても別にいいが、わしの銀十両はこれでもうおしまいだ」

出典《旧唐书・张弘靖传》

《旧唐书・张弘靖传》:“今天下无事,汝辈挽得两石力弓,不如识一丁字。”

「目不识丁」の意味は「文字が全く読めない」あるいは「教養がない」という意味ですが、特に「読み書き」ができないというニュアンスが強いです。

どちらかというと、教育を受ける機会がなかったことで読み書きができない「文盲」「非識字者」の意味に近いと思います。

さて、この故事成語のもとになったと言われている「今天下无事,汝辈挽得两石力弓,不如识一丁字。」は、唐の成立から滅亡まで(618~908年)を記した歴史書のひとつである《旧唐书》( jiù táng shū :旧唐書)に出てくる一文です。

ちなみに、「旧唐書」と書いて「くとうじょ」と読みます。

旧唐書の「列伝」第七十九「韓滉・張延賞」の中で、張延賞の子として「張弘靖」の生涯の話が出ててくるのですが、「目不识丁」のもとになった部分はそこで出てきます。

ただ、丁という姓のお金持ちの話は出てきません。

ひとまず、旧唐書に書かれている話をざっと見てみましょう。

《旧唐書 – 第七十九 – 韓滉・張延賞》

唐の時代、現在の北京周辺は「幽州」( yōu zhōu )と呼ばれていて、その幽州に張延賞の子である「張弘靖」が節度使として派遣されて来ました。

「節度使」とは管轄区の軍事を司る官職のことです。

さて、幽州の民はこの張弘靖 という人物はきっといい官吏であるに違いないと期待に胸を膨らませていましたが、赴任当日、豪華な「かご」に乗ってやって来た彼を見るなり皆がっかりしてしまいました。

また、幽州は唐中期の「安史の乱」(755~763年)が起こった場所であったため、張弘靖は「安史の乱」の指導者のひとりである「安禄山」の墓を掘り起こして破壊してしまいました。

張弘靖としてはこれによって幽州の民の気持ちを入れ替えて習俗を改めようというつもりだったのですが、これが返って民の反感を買うことになってしまいました。

さらに、張弘靖の部下であった「韋雍」「張宗厚」も評判が悪く、彼らはいつも夜遅くまで食べたり飲んだりしては兵士たちに家まで送ってもらっていました。

いつも兵士たちのことを「反虏」( fǎn lǔ:反逆者、謀反人の意)と罵り、さらに面白くないことがあるとすぐに当たり散らしていました。

ある時、酒に酔った韋雍は兵士たちに対してこう言いました。

今天下无事,汝辈挽得两石力弓,不如识一丁字。

「この太平の世の中、お前たちが弓矢を射ることができたところで何になるというのだ、“丁”の字でも覚えたらどうだ」

これにはみな黙っていたものの、歯ぎしりをして怒りを押し殺していました。

韋雍のこの発言は官吏としての立場をひけらかしていると同時に、武芸“には”秀でた兵士たちを見下したものでした。

さらに胸くそ悪い話が続きます。

張弘靖が赴任してくる前の節度使は刘总( liú zǒng:劉総)という人物でした。

彼は中央に帰ったあとに兵士たちに「百万貫」の金銭を褒美として贈りましたが、そのうちの20万貫を張弘靖は横領してしまいました。

ほどなくして横領の件を幽州の民や兵士たちは知ることとなり、また、これまでの事もあって遂に我慢の限界が来た兵士たちは、韋雍と張宗厚を殺害して張弘靖を監禁してしまいました。

これにより張弘靖は幽州を去ることになり、その後は「撫州刺史」となって中央へ再び戻ると、長安(現在の西安)で亡くなりました。65歳でした。

ちょっと深掘り

この酒の席で放った韋雍の発言が時代の流れとともに変化して現在の「目不识丁」になったと言われています。

今天下无事,汝辈挽得两石力弓,不如识一丁字。

この発言ですが、直訳するとこうなります。

「現在、天下は太平である、お前たちは2石の弓を引くことができるが(そのことは)“丁”の字を覚えることには及ばない」

ちなみにこの「丁」の字ですが、一説では中国語でものを数える「量詞」で「~個」を意味する「个」(ge)だったのではないかとしています。

そうすれば「字のひとつでも覚えたらどうだ」という意味でしっくりくる感じがします。

さて、ここに出てくる「石」ですが、読み方は「 shí 」ではなくて「 dàn 」という発音になり、ここでの意味は「弓力の単位」になります。

辞書には載っていないので私は最初、弓自体の重さかと思ってしまい、「1石=60㎏」なので「两石=120㎏」の重さの「弩」のことを言っているのかと思っていたのですが、調べていくと「石」( dàn )は弓力の単位も表わすようです。

「弓力」とは簡単に言うと「弓をいっぱいに引くために必要な力」のことで、「1石=約30㎏」になります(漢の時代には16㎏とも)。

つまり、「两石」とは「弓力60㎏」(または32㎏)という意味になります。

私は弓道やアーチェリーなどの経験もないので、弓を引くというのがどれくらい大変なのかというのが分かりませんが

兵器としての弓は相手を殺傷できるもので、かつ、射程を考慮しなければならないと考えると、やはりそれくらいの弓力は必要になってくるのかなと思いますので、ここでの「石」は弓力の単位を指しているものと思われます。

ちなみに「石」についてもっと知りたい方は「石」は「イシ」にあらず?!」の記事も読んでみてくださいね。

ちなみに張弘靖の父親である張延賞の故事がもとになってできた成語「钱可通神」についても調べてありますのでぜひ読んで見てくださいね。

例文

我爷爷没上过学,目不识丁

有一些人因为失学而目不识丁

目不识丁的农民

全省10多万目不识丁的文盲

前蜀高祖王建是目不识丁,被称为“文盲皇帝”。

類義語

胸无点墨( xiōng wú diǎn mò ):少しも学問がない、無学である

不识之无( bù shí zhī wú ):文字を知らないこと(よく使われる「之」や「无」すら知らないことから)

対義語

学富五车( xué fù wǔ chē ):学が深いこと

满腹经纶( mǎn fù jīng lún ):政策や識見を豊富に持っている

两脚书厨( liǎng jiǎo shū chú ):本をたくさん読んで博学ではあるけど実際への応用が苦手な人のこと

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「せいじん」さん - ネコ

「miho」さん - パンダ

「よろづや」さん - クローバーのライン

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