「麻姑」と「孫の手」

「孫の手」とは

「孫の手」とは「主に背中などの手の届かない所を掻く時に使う道具」のことですが、「孫の手」って最近の若い子は知っているでのしょうか。

仮に知っていたとしても実物を見たことがある人は意外と少ないのではないでしょうか。

私が小学生の頃はいつも実家に竹製の孫の手が置いてありましたが、なぜか背中ではなく足の裏を掻いていたり、ちょっと遠くのものを取る時とかに使っていた記憶があります。

そんな「孫の手」と「麻姑」(まこ)ですが、何の関係もないかと思いきや実はあるのです。

なんとなく発音が似ているので、まさか、「麻姑の手」がなまって「孫の手」になったとでも?

実はその通りなのです。

もともとは「麻姑の手」あるいは「麻姑爪」と言われていて、それがいつしか訛って近代になり「孫の手」になったということらしいです。

また、孫の手は「爪杖」(そうじょう)とも呼ばれることもあるみたいで、江戸時代前期に『 訓蒙図彙 』(きんもうずい)という今で言うところの図入りの百科事典にも「爪杖」として載っています。

みたい方はこちらをどうぞ ⇒ 「 近世期絵入百科事典データベース(試作版)- 爪杖」

近世期絵入百科事典

null

そもそも「麻姑」とは

「麻姑」(まこ)とはいったい何のことなのでしょうか。

だいたい想像がつくとは思いますが、これは女性の名前になります。

《仙人伝》などの中国の古典に登場する中国の仙女(女性の仙人)のひとりで、年は18、9歳の年頃の娘で、10㎝ほどの長い爪が印象的な子です。

昔、後漢の時代に「蔡経」という人物がいて、その家に仙人である「王遠」(王方平とも)と麻姑が舞い降りることになったのですが

そのもてなしの席で酒に酔った蔡経が麻姑の爪を見るなり「背中が痒い時に、この子の爪で掻いてもらったら気持ちいいだろう」と心の中でつぶやいてしまったがために

そのスケベ根性まる出しの考えに激怒した王遠がムチ打ちの罰を与えるという故事に登場することでも有名な子です。

これによってできた中国語の故事が「麻姑搔背」( má gū sāo bèi )になります。

日本語だと「麻姑搔痒」(まこそうよう)とも呼ばれていて、意味は「痒いところに手が届く」とか「細かいところまで行き届いている」という意味で使われることが多いです。

ただ、中国語の場合はそういう意味以外にも、「分不相応の望み」「高望み」というニュアンスも含まれます。

詳しくはこちらの記事を読んで見てくださいね。

「孫の手」と中国語

「孫の手」は中国語ではさまざまな言い方があり

「抓耙子」( zhuā pá zi )「不求人」( bù qiú rén )「勿求人」( wù qiú rén )

「老头乐」( lǎo tóu lè )「痒痒挠」( yǎng yǎng náo )「笑刷儿」( xiào shuā er )「竹背挠」( zhú bèi náo ) と呼ばれ

古くは「爪杖」( zhuǎ zhàng )とも呼ばれていたみたいです。

人に掻いてもらう必要がないということから「不求人」というのは面白い発想だと思います。

ただ、そんなにたくさん覚える必要はまったくなくて、現在では「不求人」「老头乐」「痒痒挠」が多く使われているように思います。

中国では木製や竹製の他にもステンレス製のものもあるので、興味がある方は調べて見てくださいね。

また、「抓耙子」は閩南語(びんなんご、福建省南部の方言)ではもともとは「孫の手」を意味していますが、そこから派生して「告発者」「密告者」という意味になっているようです。

「孫の手」と韓国語

韓国語で孫の手は「麻姑の手」でもなければ「孫の手」でもありません。

では、いったい誰の手なのでしょうかというのをまとめていますので、下の記事もぜひ読んでみてくださいね。

「孫の手」の歴史

孫の手の起源については日本語の「Wikipedia – 孫の手」には書かれていないので、知識の整理がてら、補足程度にここに書いていきたいと思います。

まず、孫の手の起源はイヌイット(カナダ北部の氷雪地帯に住む民族)にあるとされていて、もとはクジラの歯(サメの歯という記述も)を削って作られたものが最初であるとされています。

また、唐の玄宗が背中が痒いということで、臣下の「 나공원 」(ナゴンウォン)が献上したという話もあるみたいですが

これはいわゆる「野史」(在野の人が編纂した歴史書)に書かれているとのことなので、そもそも本当に「 나공원 」という臣下がいたのかは疑問が残るようですから、この話に関しては信憑性が薄いように思われます。

ただ、この「나공원」という人物の名前は、中国唐代の志怪小説である《神仙感遇传》( shén xiān gǎn yù zhuàn )という書に道士(道教を信奉し実践する人のこと)として登場するらしく

しかも唐の玄宗の時代の話であることからこの人物を指しているのではないかと言われているようです。

ということで《神仙感遇传》を実際に見てみると、確かに「羅公遠」という人物の話が載っていました。

「羅公遠」はハングル読みすると確かに「나공원」になるのでこの人物のことを指していると思われます。

その中で羅公遠は道術(仙術)を披露したことで都へと行くことになり、そこで唐の玄宗に会うという展開になっていくようです。

私の実力不足で詳しい内容がよくわからないので、興味のある方はぜひ「维基文库-神仙感遇传-卷五-羅公遠」からどうぞ。

神仙感遇傳

王杲者,湘南人也。其家近王喬觀,跡古所造,殿宇台閣,功用甚奇,而歲久荒棘,漸欲隳壞。杲每疚心,而無力崇葺,唯祀像設,使耕農稍贍,必旋議修營。其家牧童於觀側牧牛,見一村夫,黃赤而短發,力壯於常人,好與之戲。或較力焉,牧童多不勝。常伺牧童來,即與之遊狎。杲或責其歸晚,因話其由。杲曰: …

また、次のサイトからも「羅公遠」についての話が読めるのでどうぞ。

「唐朝第一法师,活了两三百岁貌如少年,被砍头却不死」

「唐玄宗学隐身术的传说」

「神仙故事:罗公远」

2000年以上前の「孫の手」

1977年、現在の山東省曲阜市にある「魯国故城遺跡」の2カ所の大きな墓で、それぞれひとつずつの「孫の手」が見つかりました。

この孫の手は象牙で作られており、長さは約40㎝あります。

その孫の手の一方の先は親指を立てていて、残りの指は折り曲げられた形になっており、もう一方の先は「獣の頭」の形をしており非常に精巧に作られているとのことです。

実用品としてだけでなく工芸品としての美しい外観も備えていることから、孫の手は決してこの時代に誕生したものではなく、芸術品という姿でも存在していたことになります。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「miho」さん - パンダ

「きーたん」さん - 孫の手

chinese-mao

2件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメントする