【韓国語】와신상담(臥薪嘗膽)

와신상담(臥薪嘗膽):あらすじ

春秋時代、呉に敗れてしまった越王の勾践(こうせん)は、その屈辱を忘れないように苦い肝を嘗めては自らを奮い立たせて国力を充実させると、遂に呉を滅ぼしたという話。

와신상담(臥薪嘗膽):意味

今回の故事成語である「臥薪嘗胆」は、韓国語で「와신상담」(ワシンサンダム)といい、漢字では「臥薪嘗膽」と表記します。

臥薪嘗胆は「薪の上に臥し、苦い肝を嘗める」ということから、目的を成し遂げるために「自らの心身を苦しめて励み務めること」「長い間、刻苦精励すること」を意味します。

成し遂げる内容としては、大きな望みだけでなく、今回の故事成語にもあるように復讐を成し遂げるという場合でも使うことができます。

出典《사기・월왕구천세가》【史記・越王句踐世家】

《사기・월왕구천세가》:부차가 구천을 사면해 주자 구천은 월나라로 돌아가서, 고통을 받으며 고심을 하는데, 자리 옆에 쓸개를 매달아놓고서, 앉아 있거나 누워 있거나 간에 이를 쳐다보며, 음식을 먹을 때도 이것을 핧곤 했다. 스스로에게 말하기를, “너는 회계산에서의 치욕을 잊지 않았겠지?”라 했다. 

「와신상담」(臥薪嘗膽)の故事は司馬遷によって著された『사기』(史記)「월왕구천세가」(越王句踐世家)が出典とされています。

これは、中国の春秋時代に今の浙江省や福建省あたりに存在していた呉国と越国の親子2代にわたる復讐劇からきています。

特に息子の世代の呉王・「부차」(夫差)と越王・「구천」(勾践)が「臥薪嘗胆」していたということがさまざまな本に書かれていることで知っている方も多いと思います。

夫差と勾践の父親の世代から互いに領土を攻めるなどして両国の関係は非常に悪化していましたが、そんな中、紀元前496年に越王の윤상(允常)が亡くなり勾践が新たに即位すると

それを好機と捉えた呉王の합려(闔閭:こうりょ)は越国に攻め入りましたが、現在の浙江省嘉興市にある취리(檇李:すいり)で越軍に大敗してしまい(檇李の戦い)、自らも足に負った矢傷が原因で命を落としてしまいました。

闔閭は亡くなる直前に息子の夫差に自分を殺したのは勾践であることを忘れないように言い残すと、越国への復讐を誓わせました。

その3年後、夫差は越軍を夫椒(ふしょう)の戦い(夫椒之戦)で破ると、会稽山で包囲されてしまった勾践は遂に降伏し、命を助けてもらったものの、越国は呉国の従属国となり、勾践自身も夫差の下で仕えることになりました。

오자서(伍子胥:ごししょ)は後顧の憂いとならないよう今のうちに勾践を処刑するべきだと主張しましたが、越国から賄賂で買収されていた貪欲で好色の太宰の백비(伯嚭:はくひ)の進言により勾践は処刑されることはありませんでした。

それから3年後、勾践の従順な姿に完全に警戒心を解いてしまった夫差は、ついに勾践の帰国を許してしまいました。

面従腹背、長年にわたる屈辱に耐え抜いた勾践は帰国すると、今回の故事にあるように当時の屈辱を忘れないようにと肝を嘗めては自らを奮い立たせながら国力を充実させると、紀元前482年、呉が全国の精兵3万を派遣して「黄池之会」(黄池の会、黄池会盟)に参加している隙をついて侵攻。

呉国内には老兵弱兵1万しかおらず、呉軍はあっさり敗れてしまい、呉国の太子友も捕らえられ殺されてしまいました(焼死とも)。

紀元前478年、圧倒的に有利となった勾践はとどめとばかりに国を挙げて再び呉国に侵攻、「笠澤の戦い」で呉軍を大敗させると、夫差らは少数の兵を率いて「姑蘇城」(現在の江蘇省蘇州)に逃げ込みました。

その後、数年にわたり包囲された姑蘇城は紀元前473年にとうとう陥落し、夫差は自害して呉国は滅びることになりました。

呉の滅亡は親子2代にわたって繰り広げられた数十年に及ぶ争いにようやく終止符が打たれたことも意味しました。

補足していますが、『史記』に登場する「臥薪嘗胆」の故事はこのような感じになりますが、ひとつ気付いた点があるかと思います。

それは、この『史記』には「嘗胆」の話は出てくるものの、もうひとつの薪の上で寝るという「臥薪」についてはまったくでてきません。

これでは単に「嘗胆」だけで終わってしまいます。

ということで、もうひとつの出典とされている『旧五代史』に書かれている部分について見ていきたいと思います。

出典《구오대사・한서・은제기》【旧五代史・漢書・隠帝紀】

《구오대사・한서・은제기》:朕所以尝胆履冰,废飧辍寐,虽居亿兆之上,不以九五为尊,渐冀承平,永安遐迩。

『史記』の「越王勾践世家」の他にもうひとつ「臥薪嘗胆」という故事成語のもとになったとされているものに『구오대사』(旧五代史)「한서・은제기」(漢書・隠帝紀)があります。

『旧五代史』とは、北宋の설거정(薛居正:せつきょせい:912~981年)らによって編纂された歴史書のことで、唐滅亡後の五代十国時代に興亡した5つの王朝とその周辺国の歴史、つまり、後梁の開平元年(907年)から後周の顕徳7年(960年)に宋(北宋)が成立するまでが記されており、二十四史のひとつに数えられます。

もともとは『양당진한주서』(梁唐晋漢周書)といい、原本は既に逸失してしまっており、現存する『旧五代史』は清代に邵晋涵らが『永楽大典』などの文献から抜き出して編纂したものになります。

これは二十四史のなかでは唯一、他文献を用いて編纂した歴史書になります。

『旧五代史』は「梁書」「唐書」「晋書」「漢書」「周書」「志」「列伝」からなり、今回の故事成語である「臥薪嘗胆」の故事の出典とされているのは後漢の歴史書である「漢書」の「隠帝紀」になります。

ちなみに五代十国時代の後漢は、三国時代前に存在していた後漢とは異なるので注意してくださいね。(同じ劉姓ですが)

さて、「隠帝」とは後漢の第2代皇帝である유승우(劉承裕:931~951年)のことになりますが、ややこしくなるので以下、「隠帝」で統一します。

948年に父であり初代皇帝でもある高祖(유지원劉知遠)が亡くなると、隠帝は若干17歳で即位することになりました。

しかし、臣下の곽위(郭威:かくい)が次々と功績を挙げていったことで勢いづき、それに危機感を抱いた隠帝はなんとか押さえ込もうとしましたが失敗、その後、21歳の若さで反乱軍によって命を奪われてしまい、そこで後漢は滅亡することになりました。

後漢に代わって郭威が新たに後周を建てると、自ら皇帝として即位することとなりました。

この「旧五代史・漢書・隠帝紀」もまた「臥薪嘗胆」の出典とされていますが、そこにはどのように書かれているのか見てみましょう(中国語で申し訳ありません)。

「朕所以尝胆履冰,废飧辍寐,虽居亿兆之上,不以九五为尊,渐冀承平,永安遐迩。」

ここで注目していただきたいのは「尝胆履冰」の部分です。

「臥薪嘗胆」の「嘗胆」は出てきたものの、「臥薪」ではなく「履氷」(氷上を歩く)となっています。

この一文は、乾裕2年(949年)に隠帝が大赦を実施した時に述べた言葉(中国語では「制書」といい、勅語や皇帝の御言葉の意)で、隠帝が書いた散文である『春令赦文』とほとんど同じ内容になっています。(間違っていたらご指摘願います)

「制書」は、新たな制度や政策の公布以外に、賞罰の実施や大赦の宣言などをする時にも用いられました。

また古代中国では、皇帝の即位や改元(年号が変わること)、新たな皇后や太子が立てられた時、あるいは大きな天災に見舞われた時に恩赦が実施されることがありました。

これにより政治犯などを除く罪人が釈放されることがあり、これを「大赦天下」と言いました。

乾裕2年(949年)は、まず前年に隠帝の父であり後漢初代皇帝の高祖(劉知遠)が亡くなり、また年号が「乾寧」から「乾裕」に変わっただけでなく、水害や蝗害も発生していたことから、前述した通りの理由でこの年に恩赦を実施して隠帝は「制書」を公布したのだと思われます。

実際、先ほどの「朕所以尝胆履冰,~」の前には次のような記述があります。

「属以天道犹艰,王室多故,天降重戾,国有大丧,奸臣乐祸以图危,群寇幸灾而伺隙,力役未息,兵革方殷。」

「近頃思えらく、天道はなお難儀で、国家には変事多し、天は重戻(大きな災い)を降し、国には大喪あり、奸臣は禍を楽しみ危(不正)を図る、賊は災いを幸いし隙を伺う、討伐はやまず、戦まさに激し」

拙い訳で申し訳ないですが、このことから、隠帝はこの年に大赦を実施したのだと思われます。

そのような度重なる国難に対して、隠帝は「尝胆履冰,废飧辍寐」(肝を嘗め氷上を歩き、食を忘れ寝を顧みない)という気持ちだったということなのだと思われます(私の解釈違いなら申し訳ありません)。

ちなみに『旧五代史』では「朕所以尝胆履冰,废食辍寝,~」となっているところは、『春令赦文』だと「尝胆卧薪」となっています。

しかし、一般的には臥薪嘗胆の出典とされてはおらず、また、『春令赦文』に出てくる「嘗胆臥薪」は、そもそも春秋時代の越王である勾践の時代から1400年以上も経った五代十国時代の隠帝の話ですから、勾践とはまったく関係ありませんし、臥薪嘗胆の故事の出典とは言えないと思われます。

ややこしいのでまとめると、臥薪嘗胆の故事の出典は『史記』になりますが、臥薪嘗胆という故事成語の出典は『史記』や『旧五代史』などになるということです。

あとで詳しく触れていきたいと思いますが、実際に「臥薪嘗胆」という言葉自体が初めて登場する文献は、北宋の時代に蘇軾(そしょく)によって書かれた『擬孫権答曹操書』とされています。

【英語】Living well is the best revenge.

臥薪嘗胆を英語で何というのか調べていたところ、「Living well is the best revenge.」という言葉を発見しました。

臥薪嘗胆とはニュアンスが違いますが、他サイトの方の記事によると、意味は「優雅な生活が最高の復讐である」「良く生きることが最高の復讐である」「愉快に暮らすことこそ最高の復讐である」という感じになるそうです。

中国語で何というのか検索してみたところ「活得好是最好的报复」となるようです。

「Living well is the best revenge.」はもともとスペインの諺のようで、小説のタイトルでもあるようです。

話はそれますが、私も昔はよく過去の屈辱的なことを思い出しては臥薪嘗胆していた記憶があります。

あいつらを絶対に見返してやるとか思いながら、睡眠時間や休憩時間を削ってはいつもいつも復讐心や闘争心を燃やしていた日々を送っていました。

おそらくそんな臥薪嘗胆している自分がかっこいいと思っていたのだと思いますし、どこか自分が日々成長しているように錯覚していたのかもしれませんが、実際には体力や精神力を無駄にしていたなと思います(笑)

復讐が目的になっているので目の前でやっていることが楽しく感じないわけで、いつも気分が晴れずに悶々とした日々を過ごしていた気がします。

日本語の故事成語でもおなじみの「大器晩成」が実は「大器免成」ではないのかという記事でも書きましたが、結局のところ人間は自分の器に従って生きるというか、自然体、あるがままに生きることが大事なのではないのかなと思います。

詳しくは下の記事「大器晚成」って 本当は「大器免成」?!をぜひ読んでみてくださいね。

それは決して夢や希望を持たずにだらだらと毎日を過ごすしかないというネガティブなものではないのですが、やはり復讐心が原動力になってやることというのはうまくいかないような気がします。

それに、仮にその復讐が達成されたとしても、呉越の話のように結局は相手を傷つけて終わってしまいます。

今の私がやっていることは過去の自分がやっていることととほとんど変わっていませんが、唯一違うのは、復讐心が原動力になっていないということです。

それに、復讐心がなくなってからは色々なことに興味が出てきて、少しずつですが日々いろいろなことを吸収しています。

不思議と、毎晩のように「ひかわ博一」さんの『星のカービィ』の漫画を読んでいた小学生の頃の自分に戻ったような気がします。

きっとこの十数年間、好奇心という扉に復讐心という鍵をかけていたのかもしれません。

それを考えると、「Living well is the best revenge.」の「Living well」というのは決して物質的なことだけでなく、精神的にも豊かに生きることなのだと思います。

それに「To live well」ではなく「Living well」となっていることから、ニュアンス的には、これまで復讐心や悔しい思いを抱えながら生きてきたかもしれないけれど、かといって人生をまた一からやり直すことはできないけれど、今この気付いた瞬間から豊かに生きていけばいいという感じなのかなと個人的には受け取っています。

物質的・精神的に豊かに生きるというのはどういうことなのかは人によって価値観が異なるのでさまざまな「Living well」があると思いますが、私の場合はやはりこの好奇心を満たして生きていくことなのかなと思います。

そういう意味では、この「Living well is the best revenge.」は「幸せに生きることが一番の復讐である」と意訳してもいいのかなと思います。

【中国語】卧薪尝胆( wò xīn cháng dǎn )

「臥薪嘗胆」は中国語では「卧薪尝胆」( wò xīn cháng dǎn )といいます。

貪欲で好色な呉の太宰伯嚭

越国からひそかに賄賂を受け取っていた呉の太宰伯嚭についてちょっとだけ詳しくまとめていますので、興味のある方はぜひ読んで見てくださいね。

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

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