【韓国語】지록위마(指鹿為馬)

目次
지록위마(指鹿為馬):故事

秦末期、自らが次期皇帝になろうと企んだ丞相の趙高は、皇帝の前でわざと鹿を馬だと言い、他の臣下がそれに賛同するかどうかの反応を見ることによって、自分の味方につくかどうかを試したという話。
지록위마(指鹿為馬):意味

韓国語で「指鹿為馬」は漢字をそのままハングル読みして「지록위마」(チロギマ)となります。
中国語や日本語と同じで、「是非を顛倒する」や「事実でないことを事実であると言う」という意味がありますが
韓国語の「지록위마」にはもうひとつの意味があり、「웃사람을 농락(籠絡)하여 권세(權勢)를 마음대로 함」(上の者を丸め込んで権勢を意のままにすること)という意味もあるようですので、参考までに。
出典《사기・진시황본기》
《사기・진시황본기》:“조고는 난을 일으키고자 했으나・・・・・・”

韓国語の「지록위마」【指鹿為馬】の故事は、中国の前漢時代に司馬遷(사마천)によって編纂された『史記・秦始皇本紀』(사기・진시황본기)が出典になっています。
紀元前210年に始皇帝が亡くなると、始皇帝の長子であり次期皇帝になるはずだった扶蘇が臣下の趙高や李斯らの謀略により亡くなることとなり、趙高が幼い頃から可愛がっていた末子の胡亥が二世皇帝として帝位を継ぐことになりました。
その翌年の紀元前209年には、史上初の農民反乱と言われる陳勝・呉広の乱が起きました。
陳勝・呉広の乱により「反秦」の狼煙が上がった秦では、各地で反乱が相次ぎ、秦軍も敗退を重ねては撤退を繰り返すという有様で、秦はもはや衰退の一途をたどり始めていました。後に楚漢戦争で劉邦と戦うこととなる項羽の軍も秦軍を撃破し勢いに乗っていました。
秦にとっては不利な局面ばかりが続く状況下で、丞相となった趙高は謀反を起こすことで二世皇帝である胡亥を廃して自らが皇帝の座につこうと画策していました。
しかし、どれほどの人が自分に従ってくれるのか分からなかった趙高は、ある方法を思いつき、紀元前207年の夏に二世皇帝に「指鹿為馬」を仕掛けるわけです。
皇帝に献上させるために用意したシカを、二世皇帝の目の前でわざわざウマだと指し示す趙高に、その場にいた臣下たちは戸惑いましたが
趙高の目つきから何を企んでいるのかを見抜いた者は、趙高に迎合して「確かにウマです」と言いましたが、その企みには気付いたものの態度を決めかねていた臣下はそのまま俯いて何も言いませんでした。
しかし、その企みを見抜けなかった者などは「ウマではなく、シカです」と正直に答えてしまい、結局、趙高に迎合しなかった臣下たちはでっち上げの罪により投獄されたとも、一族もろとも処刑されたとも言われています。
【英語】swear ( that ) black is white
ちなみに英語には「swear ( that ) black is white」または「prove ( that ) black is white」という言い方があり、「黒を白だと言いくるめる」となります。
「swear」はもともと「~を誓う」という意味ですが、「(人・神に対して)断言する」という意味もあり、そこからきているものと思われます。
『英漢大詞典』によると「把黑的说成白的」(黒のものを白だと言う)という意味の他にも「不惜一切」(何も惜しまない)や「不择手段」(手段を選ばない)という意味も載っており
利益のためには何ものをも犠牲にする、手段を選ばないというニュアンスがあるようです。

【中国語】指鹿为马( zhǐ lù wéi mǎ )
中国語の「指鹿为马」( zhǐ lù wéi mǎ )については以下の記事にまとめてありますので、興味がある方はぜひ読んでみてくださいね。
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