【四面楚歌】鶏鳴歌ってどんな歌?

四面楚歌:意味

日本語の四字熟語としてもおなじみの中国語の四面楚歌( sì miàn chǔ gē )は、「敵に囲まれて孤立し、助けがないこと」「周囲の人たちが反対者ばかりであること」「孤立無援の窮地に陥っていること」という意味になります。

四面楚歌:あらすじ

劉邦率いる漢軍などによって包囲された項羽が、四方から聞こえてくる楚国の歌を聞いて驚いたいう話。

四面楚歌:故事

中国語の四面楚歌( sì miàn chǔ gē )についてのものになりますが、四面楚歌の故事のちょっとだけ詳しい解説は下の記事四面楚歌( sì miàn chǔ gē )から読めますので、興味のある方はぜひ読んで見てくださいね。

こちらは韓国語の사면초가(四面楚歌)についての記事になりますので、ぜひ合わせて読んで見てくださいね。

項羽が垓下で聞いた楚歌

項羽と劉邦による楚漢戦争の最後の戦いである垓下の戦いでは、数的に圧倒的に有利だった劉邦率いる漢軍などが項羽軍を幾十にも包囲しました。

そして、夜になると四方から楚歌が聞こえてくるのを耳にした項羽は、楚がすでに漢に降ってしまったのかと驚いてしまいます。

こうして誕生したのが「四面楚歌」という故事成語になりますが、そもそもこの「楚歌」というのはどういう歌だったのかというのを考えたことはないでしょうか。

「楚歌」というのは読んで字のごとく「楚の歌」といわれればそれまでですし、ほぼ正解なのですが、辞書を引いて調べてみると「古代中国の楚国の歌」「楚の地方の調子の歌」と載っており、また、『新漢語林』には四面楚歌の故事から「敗北の歌」という意味もあると載っています。

では、「楚歌」とは具体的にどういう歌だったのかというと、私の調べた限りでは2つの説があるようなので紹介したいと思います。

まず1つめは、三国時代末期の応劭(おうしょう)が唱えた「楚歌=鶏鳴歌」という説。

2つめは、初唐の学者である顔師古(がんしこ)が唱えた「楚歌=楚人の歌」という説。

ちなみに応劭(おうしょう)が唱えた『鶏鳴歌』についてですが、これは宮廷内の百官を朝起こすために目覚まし時計代わりに歌われていた歌になります。

出典は不明ですが、一説ではこの『鶏鳴歌』を歌って呼び起こす以前は、鶏の鳴き声を真似て呼び起こしていたとも言われています。

楚歌に関する2つの説のちょっとだけ詳しい解説については以下の記事【四面楚歌】項羽が垓下で聞いた楚歌とはにまとめてありますので、よかったらあわせて読んで見てくださいね。

『鶏鳴歌』はどんな歌なのか

今回の記事では、応劭の楚歌についての見解である「楚歌=鶏鳴歌」から、『鶏鳴歌』が具体的にどういう歌だったのかについてちょっと詳しくみていこうと思います。

先ほども書いたとおり、この『鶏鳴歌』とは宮廷内の百官たちが朝起きられるようにと目覚まし時計代わりに歌われていたとされる歌になります。

応劭はこれを楚歌であるとしていますが、一説ではこの『鶏鳴歌』は漢歌であるかもしれないとされています。

そうなると、もし本当に漢歌なのだとしたら漢成立前に天下を争った項羽と劉邦の楚漢戦争時代にはこの『鶏鳴歌』が存在しなかったことになりますから、応劭による「楚歌=鶏鳴歌」説は否定されることになります。

ただ、今回の記事では応劭の説が正しいかどうかの議論は脇にそっと置いといてに、単純に『鶏鳴歌』とはどういう歌だったのかについてみていきたいと思いますのでご了承ください。

さて、この『鶏鳴歌』が「朝が来たことを百官に知らせるために歌われた歌」だということがわかったところで、次にこの歌がどういう内容のものだったのかについてみていきたいと思います。

この『鶏鳴歌』については、北宋の郭茂倩(かくもせん:1041年~1099年)による楽府集である『楽府詩集』(がふししゅう)「巻八十三 雑歌謡辞一」に載っています。

『楽府詩集』(がふししゅう)とは、先秦から五代十国時代までに作られた5000首以上の楽府(漢詩の一種)がまとめられたものになります。

ただ、これだと原文だけしか載っていないので、『鶏鳴歌』がどのような内容のものだったのかについては『古詩源』「鶏鳴歌」(国立国会図書館デジタルコレクション)「コマ番号383」のページを以下に引用して見ていきたいと思います。

『鶏鳴歌』(原文、書き下し文)

東方欲明星爛爛,汝南晨鶏登壇飛。

(東方明[よあ]けんと欲して星爛爛たり、汝南の晨鶏[しんけい]壇に登て喚ぶ。)

曲終漏尽厳具陳,月没星稀天下旦。

(曲終わり漏盡き厳具[げんぐ]陳[つらな]り、月没し星稀に天下旦[あした]なり。)

千門万戸遞魚鑰,宮中城上飛鳥鵲。

(千門万戸魚鑰[ぎょやく]を遞[おく]り、宮中城上鳥鵲[うじゃく]飛ぶ。)

『鶏鳴歌』の解説

『古詩源』(こしげん)とは18世紀初め頃に清の沈徳潜(しんとくせん)によって編纂されたもので、先秦から隋代までの詩などを時代順や作者別に並べたものになります。

さきほど『鶏鳴歌』を引用させてもたった『古詩源』「鶏鳴歌」(国立国会図書館デジタルコレクション)は、大正11年10月1日に発行されたものになり、ありがたいことに日本語での書き下し文や訓注が附されているので読みやすくなっています。

見慣れない言葉が散見されるので、国立国会図書館デジタルコレクションの『古詩源』を参考に細くを加えながらちょっと詳しくみていきたいと思います。

「爛爛」(らんらん)とは、「きらきらと光る様子」を言います。

「汝南」(じょなん)とは郡の名前になりますが、これは前漢の高祖(劉邦)の時に現在の河南省南東および安徽省北西部にまたがって設置された郡名になり、唐代まで置かれていました。

「晨鶏」(しんけい)とは「鶏人」、すなわち「夜警」のことを指し、ここでは夜警が自身を例える言葉として使われています。

「漏」(ろう)とは「水時計」のことになり、漏刻(ろうこく)とも言われますが、これは水を使って時間を表す装置になります。

古代中国で発明されたものともいわれていますが、発明された時期については不明とされていて、実際、古代エジプトやバビロニアなどでも使用されていたようです。

中国では周代にはすでに存在していたとされており、それがやがて日本に伝わり、飛鳥時代(7世紀頃)にはすでに使用されていたようです。

中国で使用されていたものではないですが、飛鳥時代の漏刻(水時計)の跡とされている奈良県明日香村の水落遺跡で使われていた漏刻について紹介されている動画がありましたので、百聞は一見に如かず、3:24から漏刻についての解説を見ることができますので、どうぞ。

「厳具」(げんぐ)とは、「厳かな儀式に用いる器具」のことであるとしていますが、中国語の「严具」( yán jù )の場合、中国語の「严」( yán )には「衣装」「化粧、おめかし」という意味もることから、「身支度用の道具」のことであるとしています。

「旦」“あした”と読み、「朝、夜明け、朝方」という意味になります。

「千門万戸」は、「非常に多くの家」のことをいい、また「非常に多くの家が隙間なく集まっている様」をいうこともあります。

「魚鑰」“ぎょやく”と読み、魚の形をした錠前のことをいいます。

「鳥鵲」は鳥の名前で“うじゃく”と読みますが、これは“かささぎ”と訓読みします。

『鶏鳴歌』の現代語訳(拙訳)

東の空がもうすぐで明けようとしているが星は爛爛と輝き、汝南の夜警は壇に登って鶏鳴歌を歌う。

歌が終わると漏(水時計)の水は尽き厳具は列をなして並び、月が沈むと星は薄くなり天下は朝を迎える。

多くの家々は玄関の錠前を外し、宮中の上空を鳥鵲(かささぎ)が飛ぶ。

まとめ

今回の記事では『鶏鳴歌』がどういう歌だったのかについてちょっとだけ詳しくみてきました。

応劭の説によると、『鶏鳴歌』は項羽が垓下の戦いの時に聞いた楚歌であったとされていて、つまりは四字熟語の「四面楚歌」の楚歌とはまさにこの『鶏鳴歌』だったかもしれないということになりますが、真偽のほどは定かではありません。

ただ、楚の歌はよく句中に“兮”が多用されされているにもかかわらず、『鶏鳴歌』についてはまったく使われていないので、個人的にはやはり項羽が耳にした楚歌は『鶏鳴歌』ではなかったと感じています。

みなさんはどう思われますでしょうか。

参照

『古詩源』「鶏鳴歌」(コマ番号383)(国立国会図書館デジタルコレクション)

「汝南郡」(Wikipedia)

「漏刻」(百度百科)

「严具」(百度百科)

「严」(百度百科)

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「miho.panda」さん - パンダ 

「せいじん」さん - 歌う女性 

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