【故事成語】邯郸学步( hán dān xué bù )

邯郸学步( hán dān xué bù ):あらすじ

戦国時代、燕国のある少年が趙国の都である邯鄲を訪れ、そこの人たちの美しい歩き方を学ぼうとしましたが、結局、習得できずに地を這って故郷へと帰ったという話。

邯郸学步( hán dān xué bù ):故事

戦国時代の趙国の都、邯鄲(かんたん)。

そこの人たちの優雅で軽快に歩く姿はとても美しかったとされていました。

趙国の隣にあった燕国の寿陵に「余」という少年がいました。

その少年は趙国のその噂を聞いてとても羨ましいと思い、遠路はるばる邯鄲に赴いて彼らの歩き方を真似てみようと思いました。

初め、その少年は街角に立ちながら邯鄲の人々の歩く姿をじっくりと観察しました。

見よう見まねで真似てみたものの習得することはできなかったので、これまで身につけた歩き方を一旦忘れることにしました。

再び、見よう見まねで真似てみましたが、やはり習得することができず、とうとう諦めてしまいました。

しかし、以前の歩き方をすっかり忘れてしまっていたためにどうやって歩いたらいいか分からず、そのまま地面に這って故郷に帰りました。

その様子を見ていた人は思わず笑ってしまいました。

出典《荘子・秋水》

《庄子・秋水》:“子往呼!且子独不闻夫寿陵余子之学行于邯郸与?未得国能,又失其故行矣,直匍匐而归耳。今子不去,将忘子之故,失子之业。”

今回の「邯郸学步」の故事成語のもとになったのは荘子の著とされる『荘子』という道家の文献になります。

『荘子』は内篇・外篇・雑篇に分かれており、そのうち荘子の著とされるのは内篇であり、その他の篇は後世の人による「偽書」とされています。

ちなみに「秋水」は外篇に含まれています。

同じ出典となっている「井底之蛙」(井の中の蛙)でも触れましたが、これは孔子の弟子のひとりである「公孫竜」が「魏牟」(ぎぼう)という人物にお灸を据えられる話に登場します。

中国哲学书电子化计划-《庄子》-外篇-秋水「10」にその話が載っています。

詳しくは「井底之蛙」の記事を読んでみてくださいね。

公孫竜は荘子の考えを理解しようとしていましたが、なかなかできずにいました。

そこで、その理由について魏牟に聞いてみるのですが、公孫竜は自身の見識の狭さを魏牟によって指摘されてしまいます。

そして、そのままでは荘子の考えを理解できないばかりか、本来、自分の持っている知識や考え方まで失ってしまうことになるかもよと、「邯郸学步」の話を持ち出して公孫竜を説得しました。

ただ、この記事に書かれている故事はネット上にあるいろいろな「邯郸学步」の故事をつなぎ合わせただけなので、『荘子』の原文にはこのように細かい話は出てきませんので注意してくださいね。

ちょっと深掘り

この「邯郸学步」は「学步邯郸」( xué bù hán dān )と言うこともあり、「他人を真似て習得できなかったばかりか自己本来のものまでも失ってしまう」という意味になります。

「邯鄲」(かんたん)は戦国時代には趙国の都として栄えていました。

現在の中国でも河北省南部の地級市として「邯鄲市」があり、地名として残っています。

この邯鄲市からは多くの故事成語が誕生しており、中国語版のWikipedia「邯郸市」によると、ざっと数えただけでも80個近くあります。

その中でも日本語でもおなじみの「完璧」のもとになった「完璧归赵」( wán bì guī zhào )、「背水の陣」を意味する「背水一战」( běi shuǐ yí zhàn )や「漁夫の利」の「渔翁得利」( yú wēng dé lì )

「邯鄲の夢」や「黄粱(こうりょう)の一炊」の「黄粱美梦」( huáng liáng měi mèng )の故事も邯鄲市と関係があります。

また、中国語学習者であれば習ったことがある故事成語で言えば

「纸上谈兵」( zhǐ shàng tán bīng ):紙の上で兵法を論ずる、机上の空論

「惊弓之鸟」( jīng gōng zhī niǎo ):一度危険な目に遭ってちょっとしたことにもおびえてしまうこと

「围魏救赵」( wéi wèi jiù zhào ):一方を牽制して他方を救う

「毛遂自荐」( máo suì zì jiàn ):自薦する

「怒发冲冠」( nù fà chōng guān ):怒髪冠をつく、怒りの激しいさま

「脱颖而出」( tuō yǐng ér chū ):頭角を現す、才能が現れる

また、印象的なものに「非常に狭い土地」を意味する「弹丸之地」( dàn wán zhī dì )というものもあります。

まだまだありますので、Wikipedia「邯郸市」から調べて見てくださいね。

また、邯鄲市というと多くの歴史的人物の生まれの地でもあり、例えば、秦の始皇帝や三国時代の曹操なども邯鄲の出身になります。

また、邯鄲市とは直接的には関係はないですが、中国でもトップレベルの大学のひとつで上海市にある「復旦大学」(ふくたんだいがく)は「邯鄲路」にあります。

この「邯郸学步」という故事成語は、ある少年が邯鄲の人の歩き方を真似て結局は習得できなっただけでなく、本来の歩き方まで忘れて地面を這って帰ったという笑い話として習うことがほとんどだと思いますが

実は彼が学んだのは邯鄲の人の「歩き方」ではなかったとする論文を書いた人がいます。

では、彼は邯鄲でいったい何を学んだのでしょうか。

それは趙国の「踊り」「古典舞踏」であったと言われています。

詳しくは下の記事「邯鄲で学んだのは“踊り”だった?!」にまとめてありますのでぜひ読んでみてくださいね。

例文

盲目地模仿HIKAKIN的YouTube内容,这不是邯郸学步吗?

不管学习什么,我们都不能邯郸学步

她总爱邯郸学步

我们都要有自己的主见,不要邯郸学步

他做事都邯郸学步,这样下去,他不会学到什么东西。

類義語

生搬硬套( shēng bān yìng tào ):強引に応用する、強引にあてはめる、機械的にあてはめる

东施效颦( dōng shī xiào pín ):西施の顰みにならう、猿まねをする、身の程を知らずにむやみに他人を真似ること

対義語

标新立异( biāo xīn lì yì ):奇抜なことをする、新しい主張を唱える

独辟蹊径( dú pì xī jìng ):独自の道をひらく、独自の境地を切り開く

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「せいじん」さん - ネコ

「miho」さん - パンダ

「kp」さん - 看板

chinese-mao

3件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメントする