【中国語】腐心( fǔ xīn )

腐心( fǔ xīn ):意味

中国語の「腐心」( fǔ xīn )の意味は、読んで字の如く「腐心する」という意味になり、「あることを成し遂げるために心をくだくこと」「物事を成し遂げようとしていろいろと考えたりして苦労すること」を表します。

また、中国語の「腐心」には、「ひどく悲しむ」「ひどく残念に思う」という意味もあります。

四字熟語の「切歯腐心」(せっしふしん)「激しく怒り思い悩むこと」という意味があります。

腐心( fǔ xīn ):あらすじ

どのように復讐したら良いか日々悩んできた樊於期(はんおき)が、恨みを晴らすために自害して自分の首級を差し出したという話。

腐心( fǔ xīn ):故事

戦国時代末期、秦国に人質として送られていた燕の太子丹は秦国から逃げ帰ってきました。

太子丹はかつて秦王政(後の始皇帝)とともに趙国の都で人質として生活していましたが、秦王政が秦王となると今度は秦国に人質として送られることになりました。

秦王政は太子丹を冷遇したために、これを恨みに思った太子丹は燕国に逃げ帰ると秦王政(後の始皇帝)への復讐を誓いましたが、燕国は小国だったため秦国にはとても敵いませんでした。

その後、秦国は斉国や楚国、三晋を討伐して各諸侯国を征服していくと、その戦火が燕国にまで及ぼうとしている状況を前に、臣下の多くが震え上がっていました。

そこで太子丹は鞠武(きくぶ)にどうするべきかを相談すると、どうして自身の恨みだけで秦国に復讐することができましょうかと戒めると、ではどうするべきかと問う太子丹に鞠武はしばし考えさせてくださいと答えました。

そんな中、秦王政の怒りを買ってしまった将軍の樊於期が秦国から逃げ込んで来ると、太子丹はこれを匿ってあげました。

しかし、それに対して鞠武は「虎が通る道に肉を捨て置くようなもので、必ず災いを受けることになる」と戒めると、樊於期を匈奴に追放したうえで秦国が燕国を攻める口実を与えないようにするべきだと諫言しましたが、自分を頼って来てくれた樊於期を見捨てることができなかった太子丹は聞く耳を持ちませんでした。

そこで、鞠武は燕国の田光(田光先生)を推挙することにしました。

太子丹は田光を出迎えましたが、田光は自分がまだ若い頃のことを一日に千里を駆ける駿馬に例えた上で、自身はすでに老いてしまってもはや駑馬(劣等馬)にも及ばないと辞退すると、今度は荊軻を推挙することにしました。

田光の帰り際、太子丹はさきほど話したことは口外しないように言うと、田光は笑いながら分かりましたと答えて去って行きました。

その後、荊軻に会った田光は、太子丹から相談内容を口外しないように言われたことについて、自身の節操が疑われてしまったのだと恥じてしまい、自らの死を以て身の潔白を証明するとともに、自分の死を以て荊軻を激励しようとして自害してしまいました。

この知らせを聞いた太子丹は膝をがっくりと落とすと泣いて田光の死を深く悲しみました。

太子丹は荊軻に、秦王政を脅迫してこれまでに奪い取った領地を各諸侯国に返還させ、もし従わないようであればそのまま仕留めてしまえばいいと提案しました。

さらに、もし遠征に出ている中で秦国内が乱れたとなれば臣下たちは互いに疑心暗鬼になり、その隙に各諸侯が連合すれば必ずしや秦国を打ち破ることができるだろうと続けました。

荊軻は自分では荷が重すぎるとして一度は断ったものの、頭を地に下げて頑なに懇願する太子丹の姿に、荊軻はその大任を引き受けることにしました。

それからしばらくしても荊軻は行動に出ることはなく、そうしているうちに秦国の将軍である王翦(おうせん)が趙国を破り趙王を捕らえると、秦軍は燕国の国境まで迫ってきました。

これに怖れをなした太子丹は荊軻に「秦兵は遅かれ早かれ易水を渡ってくる、そうなればそなたを世話できなくなってしまう」と言うと、秦王政暗殺の早期実行を暗意に促しました。

それに対して荊軻は、今のままでは秦王は自分と会ってくれることはないだろうとして、懸賞金がかけられている樊於期の首級と(割譲すると偽った)燕国督亢の地図を用意すれば、秦王政は必ず喜んで会ってくれるだろうと提案しました。

しかし、自分を頼って逃げ込んできた樊於期に同情した太子丹はその提案に躊躇したため、その姿を見かねた荊軻は自分で説得することにしました。

樊於期と会った荊軻は「今そなたの首には金千斤がかけられているが、どうするつもりなのか」と尋ねると、樊於期は空を仰ぎ見ると涙を流しながら「そのことを考えるといつも骨の髄まで痛むが、何も策が浮かばないのだ」と嘆きました。

すると荊軻は、燕国の災いを取り除き、そなたの恨みを晴らすことができる考えがあると切り出すと、樊於期はそうするにはどうしたらよいのか尋ねました。

荊軻は、「願わくはそなたの首級を秦王に献上したいのだ、そうすれば秦王は喜んで私と会うだろう、そうしたら私は左手でその袖をつかみ、右手の匕首でその胸を突き刺すのだ、そうすればそなたの恨みを晴らし、燕国が侮られてきた恥をすすぐことができるだろう、そなたにそのつもりはあるだろうか」と言いました。

樊於期は片肌脱ぎになり腕を握りしめると、「これは日夜歯ぎしりして苦しみ悩んできたことだ、そなたからそのような考えを聞けるとは」と言い残し、そのまま自らの首を刎ねて自害してしまいました。

これを聞いた太子丹は駆けつけると、樊於期の亡骸に伏して泣いて悲しみましたが、事ここに至ってはもはや後戻りをすることはできませんでした。

その後、趙人の徐夫人から天下一といわれる匕首を百金で手に入れると、荊軻は秦武陽を付き添い人として連れていくことになりました。

白装束に身を包んだ太子丹や高漸離らに易水で見送られながら、荊軻たち一行はそのまま秦国に向けて帰らぬ旅路につきました。

樊於期の首級と督亢が描かれた地図を携えて一行は秦国に到着すると、その知らせを聞いて喜んだ秦王政は荊軻たちと接見することにしました。

そして、巻物に描かれた地図が秦王政の目の前で開かれていくと、地図に隠し込んでいた匕首が姿を現すやいなや、荊軻は左手で秦王政の袖を掴むと、右手に握りしめた匕首をその胸に目がけて突き刺しました。

しかし、匕首は虚しく空を切ってしまい、結局は秦王政の携帯していた長剣により荊軻は左の太ももを斬られてしまい足がきかなくなってしまうと、今度は匕首を秦王政に投げつけたものの外してしまい柱に刺さってしまいました。

そして、暗殺が失敗に終わってしまったことを悟った荊軻は秦王政を罵ると、最期はそばにいた者によってとどめを刺されてしまいました。

その後、これに激怒した秦王政は燕国を攻めるとこれを滅ぼしてしまいました。

出典《史記・刺客列伝・荊軻伝》

《史记・刺客列传・荆轲传》樊於期偏袒扼捥而进曰:“此臣之日夜切齿腐心也,乃今得闻教!”遂自刭。

日本語でもおなじみの「腐心する」の出典についてですが、これは司馬遷の『史記』「刺客列伝・荊軻伝」に登場する樊於期(はんおき)という人物の言葉がもとになっています。

時代は戦国時代末期の燕国。

秦王政(後の始皇帝)の秦国が各国を呑み込んで強大化し、もはや秦による中国統一がいよいよ現実味を帯びてきていた中、人質として秦国に送られていた燕太子丹が自身が受けてきた冷遇に耐えきれずに燕国に逃げ帰ってきました。

秦国の冷遇に秦王政への復讐を考えると同時に、秦国による中国統一を何としてでも阻止して自国の存続も図りたかった太子丹ですが、焦りもあってかせっかくの側近の献策にも難色を示していました。

しばらくすると、秦国の将軍だった樊於期が秦王政の政策に異を唱えたことで不興を買ってしまい、燕国に亡命して来ると、太子丹は彼を匿ってあげることにしました。

その後、太子丹はかねてから実行に移そうとしていた秦王政の暗殺を荊軻に託することになりますが、ここで注目(?)すべきは、太子丹はそもそも初めから秦王政の暗殺を第一の目的として考えていなかったということです。

というのも、太子丹が荊軻に打ち明けた自身の計画内容は、金品を献上して喜ばせた上で、魯国の将軍であった曹沫(そうかい)が斉国の桓公に領地を返還するように脅迫して承諾させたように、諸侯たちに領土を返還するよう秦王政を脅迫するというもので、もしもその脅しに屈しないようであれば最終的に刺し殺してしまえばいいというものだったからです。

しかし、『史記』や『戦国策』が伝えているとおり、その目論見は外れてしまっただけでなく、暗殺にも失敗してしまいます。

結局、激怒した秦王政は燕国を攻めると、太子丹は和議の印としてその首級を送られることになりますが、それでも秦国の攻撃は止むことはなく、遂に燕国は滅亡してしまいます。

ちょっと深掘り

「腐心」という言葉は、文字だけ見ると「心を腐らす」や「腐った心」ということで、あまりいいイメージがしないような気がしますが、なぜ「腐心」には「苦心する」や「物事を成し遂げようとしていろいろと考えたりして苦労すること」といった意味になるのか考えたことはないでしょうか。

辞書を引いてみても「腐」という字には「悩ませる」や「心を痛める」という意味もあるとは載っているものの、なぜそういう意味になったのかと言うことについては載っていません。

ということで、なぜ「腐心」は現在使われているような意味になるのかということについて、私の狭い見識をフル活用してあれこれ調べて以下の記事【考察】「腐心」はどうして「心を腐らす」というのかにまとめてみましたので、ぜひ読んで見てくださいね。

例文

她对这件事一直切齿腐心。

(彼女はこの件について切歯腐心している)

類義語

绞尽脑汁( jiǎo jìn nǎo zhī ):ありったけの知恵を絞る、苦心する

煞费苦心( shà fèi kǔ xīn ):大いに苦心する、苦心に苦心を重ねる

费尽心思( fèi jìn xīn sī ):頭をひねる、思考力の限りを尽くす(费尽心机费尽心力とも)

対義語

无所用心( wú suǒ yòng xīn ):少しも頭を働かさない、まったく頭を使わない

心不在焉( xīn bù zài yān ):心ここにあらず、上の空である、気もそぞろである

漫不经心( màn bù jīng xīn ):まったく気にしない、一向に気にかけない

【故事成語】图穷匕见( tú qióng bǐ xiàn )

秦王政(後の始皇帝)の目の前で開かれていく巻物の地図。

地図が開き終わろうとしたまさにその瞬間、突如として匕首(あいくち、小剣)が姿を現しました。

燕国の刺客人だった荊軻(けいか)による秦王政の暗殺未遂について、ちょっとだけ詳しくまとめていますので、ぜひ読んで見てくださいね。

参照

『史記』「刺客列伝・荊軻伝」(維基文庫)

『戦国策』「燕策三」(維基文庫)

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「せいじん」さん - ネコ

「miho.panda」さん - パンダ

「せいじん」さん - 魔女

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