【故事成語】东施效颦( dōng shī xiào pín )

东施效颦( dōng shī xiào pín ):意味

「东施效颦」( dōng shī xiào pín )は、西施の顰みにならうとして日本でも広く知られて諺になりますが、猿まねをする身の程知らずに他人の真似をすることという意味になります。

また他にも、見習う気持ちであること(他人を真似て)下手くそであるという謙遜の気持ちを表す言葉としても使われます。

また、西施捧心(せいしほうしん)ともいい、単に顰みにならうともいうこともあります。

东施效颦( dōng shī xiào pín ):あらすじ

胸が痛むと胸に手をあてながら眉をひそめる姿が美しかった女性を見かけたある女性が、自分も同じようにすれば美しくなれると思い真似てみた結果、村人たちから気味悪がられたという話。

东施效颦( dōng shī xiào pín ):故事

時は春秋時代、越国に西施という絶世の美女がいました。

彼女はいつも胸に痛みを感じていたので、胸元に手を添えながら眉をひそめて苦しそうな表情をしていました。

ある日、東施という女性が村を歩いていた西施を見かけ、胸元に手をあてながら顔をゆがめたその姿をとても美しいと感じました。

その後、自分も胸元に手をあてて村を歩いてみると、東施のその姿を見かけたお金持ちは気味悪がり家の戸を閉めてしまいました。

また、東施を見かけた貧乏人は自分の妻と子を連れてその場からすぐさま離れてしまいました。

東施は眉をひそめることが美しいと思っていただけで、なぜそれが美しいのかということについて理解していませんでした。

出典《荘子・天運》

《庄子·天运》:“故西施病心而矉其里,其里之丑人见而美之,归亦捧心而矉其里。其里之富人见之,坚闭门而不出;贫人见之,挈妻子而去之走。彼知颦美,而不知颦之所以美。”

今回の故事成語である「东施效颦」の故事は『荘子』「天運」に登場します。

『荘子』(そうじ/そうし)とは、荘子(紀元前369年頃~紀元前286年頃)の著書とされる道家の文献のことで、戦国時代の中期・後期頃から徐々に広がりはじめ、前漢の頃には大まかな形として出来上がったとされていますが、現在の『荘子』は「郭象」という人物が西晋時代に編纂したものとなっています。

『荘子』は「内篇」「外篇」「雑篇」の3篇で構成されており、そのうち、「内篇」が荘子が著したものとされていて、「外篇」と「雑篇」は後世の人が著した「偽書」であるとするのが定説のようです。

『荘子』は『老子』と『易経』と合わせて「三玄」と呼ばれており、唐の時代には『老子』『文子』『列子』と合わせて道教の四部経典とされていました。

今回の故事成語である「东施效颦」の故事は、『荘子』の「天運」に登場します。

どういう話かというと、孔子が衛国(現在の河南省一帯を支配していた諸侯国)を訪れようとした際に、孔子の弟子のひとりであった顔回(顔淵とも)が金という師(以下、師金)に対して、今回の孔子の衛国訪問はどうなるかということを尋ねるというもの。

師金は「うまくいかないだろう」と前置きして、さまざまな例え話を用いながらその理由について述べていきました。

その例え話のひとつとして出てくるのがこの「东施效颦」の話になります。

その前にまず、孔子についてざっと紹介していきたいと思います。

孔子は斉国で仕官していましたが、紀元前497年から約14年にわたり諸国を旅することになります。その時の孔子は55歳。

大まかな滞在先を順に書いていくと次の通りです。

衛国 ⇒ 陳国 ⇒ 衛国 ⇒ 宋国 ⇒ 陳国 ⇒ 楚国 ⇒ 衛国 ⇒ 魯国

なぜこれだけ各地を転々とするようになったかというと、臣下の讒言によりあらぬ疑いをかけられたり戦乱に巻き込まれたりしたためです。

また、他国への道中にも命を狙われたり何度も危険な目に遭いながらも、なんとか無事に故郷である魯国へと戻ってくることができました。

もう一度、孔子の滞在先を見てみましょう。

衛国 ⇒ 陳国 ⇒ 衛国 ⇒ 宋国 ⇒ 陳国 ⇒ 楚国 ⇒ 衛国 ⇒ 魯国

こうしてみると、衛国には何度も出たり入ったりしていますが、これは時の王により高待遇で迎え入れられたり冷遇されたためです。

さて、今回の「东施效颦」の故事は孔子が再び衛国へ入ろうとする際に弟子である顔回と師金との会話に出てきます。

孔子が再び衛国に入ることについて師金は「うまくいかないだろう」と答えています。

その理由について師金はいくつか例え話を用いているのですが、下に列挙してみましょう。

1.「刍狗」( chú gǒu )の扱われ方の話

2.舟は水を、車は陸を行くからうまく走れるという話

3.「桔槔」( jié gāo:はねつるべ)の動きの話

4.「三皇五帝」の礼義法度を「サンザシ・ナシ・ミカン・ユズ」に例えた話

5.サルは周公の礼服を着ても噛みちぎって引き裂いてしまうという話

6.西施の外見的な美しさだけを真似た東施の話

詳しい内容や日本語の書き下し文、解説については松尾善弘氏の鹿児島大学教育学部紀要論文. 人文・社会科学編「批孔寓話 -顰に倣う-」からPDFファイルをダウンロードしてご覧ください。

この方の論文を読んでいて分かるのが、そもそもこの「东施效颦」の話というのは、孔子を批判する上で用いた例え話であったという事実が分かります。

つまり、孔子を「東施」に例えることで、春秋時代という悲惨な現実が広がる社会に(東施の醜い顔面に)、現状にそぐわない先代の礼儀法度(美しく見える西施のゆがんだ表情)をそのままあてはめようとした孔子を批判したというわけです。

なぜゆがんだ表情が美しかったのか(なぜ先代の礼儀法度が素晴らしかったのか)。

それは西施が美人であったから(時代に合っていたから)ということなのでしょう。

「东施效颦」は醜女が美女を表面的に真似をしてかえって気味悪がられるようになってしまったという単なる笑い話や寓話だったのではなく、悲惨な現実が見えていない理想主義者であった孔子を批判した例え話のひとつであったというのはちょっと意外でした。

ちょっと深掘り

春秋時代、絶世の美女と言われていた西施は、現在の浙江省紹興市にある諸曁(しょき)市の生まれで、本名は施夷光( shī yí guāng )といいます。

父は薪を売り、母は洗濯をして稼いでたため家はとても貧しく、西施は幼い頃からよく母親と川辺で洗濯をしていたと言われています。

その後、川辺で洗濯していたところを見いだされて王宮へ召し出され、紀元前490年に計略のために呉王の夫差のもとへと送られることとなりました。

呉が滅んだあとは生きたまま革袋に入れられ川底に沈められたと言われています。西施の死には諸説があるようですが、ここでは割愛します。

さて、話は変わりますが、先ほどこの「东施效颦」の故事は理想主義者である孔子を批判する例え話として出てくると書きました。

他にも例え話がありましたが、そのうち「刍狗」( chú gǒu )について調べてみたのでちょっとだけ詳しく書いていきたいと思います。

「刍狗」とは簡単に言うと「わらで編んだ犬」のことで、「藁人形」をイメージすると分かりやすいかと思いますが、なにも呪いに使う道具というわけではありません。

では何に使うのかというと葬儀の時に使います。

理由はよく分からないのですが、古代中国では葬儀の儀式の際に犬を捧げることがありました。

ただ、現代のように飽食の時代ではなかったので、高価なブタやウシ、ヒツジを捧げるというのは庶民にとっては無理がありました。

そこで白羽の矢が立ったのが犬だったというわけです。

ただ、それも時代がくだるにつれて、いつしかわらで編んだ犬で代用することになり、それが「刍狗」だったというわけです。

この「刍狗」ですが、葬儀に用いるまでは、まあそれはそれは丁寧に扱われたそうで、供えられるまでは立派な箱に入れられ、さらにその箱はきれいな刺繍が施された布で包まれていました。

そんな「刍狗」を人々はむやみやたらに触ろうとすることもありませんでした。

しかし、神聖なものとして扱われていた「刍狗」も、ひとたび葬儀が終わればそれまでの丁重な扱いが嘘だったかのように路肩に捨てられてしまい、人々はそれを踏んづけて歩いては、その藁を火付けのために持ち去る者さえいました。

では、『庄子』の「天運」の中で師金は「刍狗」をいったい何に例えていたのでしょうか。

それは「戦国時代の世にあっては無用となった先代の仁義礼楽」のことであると松尾善弘氏の論文で説明されていました。

その捨て去られた「刍狗」をまた拾い上げるから(孔子たちが先代の正義法度を再び唱えるから)、命を狙われたりなどさまざまな危険な目に遭うのではないですかと師金は言っていたわけです。

他の例え話の詳しい内容や解説については、先ほども紹介した松尾善弘氏の論文「批孔寓話 -顰に倣う-」をぜひ読んで見てくださいね。

私には難しすぎてちょっと頭が痛くなってくる内容ですが、もうちょっと勉強してからもう一度読んで見ると内容がすっと頭に入ってくるかもしれません。

西施が冒されていた病とは

彼女はいつも眉を顰めながら胸に手をあてていたわけですが、その原因が心臓が悪かったからなのか、それとも心を病んでいたからなのか、色々な説があります。

色々な説の中からいくつかをピックアップして下の記事西施が病んでいたのは心?それとも心臓?にまとめて見ましたので、興味のある方はぜひ読んで見てくださいね。

「施夷光」が「西施」と呼ばれていた理由

なぜ彼女は「西施」と呼ばれていたのでしょうか。

その理由については以下の記事【东施效颦】なぜ「西夷光」は「西施」と呼ばれるのかにまとめていますので、合わせて読んで見てくださいね。

例文

我们要实事求是,不能东施效颦

(私たちは現実に基づいて行動しなければならず、猿真似をしてはならない)

请别再东施效颦

(これ以上、他人をむやみに真似しないでください)

学别人的优点时,我们一定要注意不能犯东施效颦的错误。

(他人の長所を学ぶ時には西施の顰みにならうという間違いをしないように気を付けなければならない)

为了收获多次点赞,有很多Youtuber东施效颦,结果适得其反。

(たくさんの“いいね”欲しさに、他人をむやみに真似るYouTuberが多いが、結果はまさにその正反対だ)

如果我模仿“朝仓未来”的话,有很多人会取笑我东施效颦

(私が“朝倉未来”のまねをした場合、多くの人が私の猿真似を笑うだろう)

類義語

邯郸学步( hán dān xué bù ):他人の真似をして上手くいかないばかりか、自分の本来のものまで失ってしまうこと

亦步亦趋( yì bù yì qū ):人(または師匠)が歩けば歩き、人(または師匠)が走れば走る、[喩]真似て行動する、追随する、定見がない、人の尻馬に乗る

画虎不成反类犬( huà hǔ bù chéng fǎn lèi quǎn ):虎を描いて犬に似る、[喩]高望みしてかえってまずい結果になる、能力以上のことをしようとして何の結果も得られない

対義語

独辟蹊径( dú pì xī jìng ):独自の道を切り開く、[喩]新しい風格・機軸・方法を創り出すこと、

自我作古( zì wǒ zuò gǔ ):自ら新しい機軸を出す、(慣習やしきたりにとらわれず)自分から道を切り開く

英語・韓国語での表現

copycay:(態度や作品を)真似る人[こども]、同じものを持ちたがる子どものことも指す

「copycat」には否定的なニュアンスが含まれるようです。

「Copycat不是“复制猫”哦!但你应该不希望自己小孩是个copycat」(Copycatは“複製猫”じゃないよ!でも自分の子どもがcopycatにならないように)の記事によると、「copycat」はいろいろと真似したがる人や子どものことを指す以外にも、「模倣品」「海賊版」「パクリ商品」のことも「copycat」というとしていますが。

また、「copycat」は「模倣する」という形容詞としても使われ、「a copycat suicide」とは「他人の自殺を模倣すること」という意味から、日本語では「後追い自殺」「模倣自殺」という訳になるようです。

「K-pop deaths spark fear of copycat suicides in South Korea」

心が敏感な方は上のリンク記事を読むことはオススメしませんので、自己責任でお願いいたします。

私自身、韓国の芸能界には詳しくないですが、2019年の後半に立て続けに若い韓流スターが亡くなっていたようです。Karaのク・ハラさんが亡くなったのは知っていましたが意外でした。

この「a copycat suicide」がテレビなどのマスメディアの影響により、実際に自殺が立て続けに起こってしまうことを「ウェルテル効果」というようで、中国語では「维特效应」( wéi tè xiào yìng )、韓国語では「베르테르 효과」(ペルテルヒョグァ)といいます。

中国語の「东施效颦」から話がそれてしまいましたが、韓国語で「东施效颦」は「동시효빈」(トンシヒョビン)となります。

残念ながらこれに対応する韓国語の諺や慣用句を見つけられなかったので、もしも知っている方がいましたら教えて頂けると幸いです。

参照

『荘子』「天運」(維基文庫)

鹿児島大学教育学部紀要論文. 人文・社会科学編「批孔寓話 -顰に倣う-」

「Copycat不是“复制猫”哦!但你应该不希望自己小孩是个copycat」

「K-pop deaths spark fear of copycat suicides in South Korea」

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「せいじん」さん - ネコ

「miho.pandaさん - パンダ

「まむのすけ」さん - 黒猫のフレーム 

「qwu」さん - 汗マーク

「にゃんこ先生」さん - ダッシュマーク

「せいじん」さん ― 猫が乗った女性

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6件のコメント

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