【故事成語】沉鱼落雁( chén yú luò yàn )②

沉鱼落雁( chén yú luò yàn ):意味

「沉鱼落雁」( chén yú luò yàn )は、女性の容貌が美しいことを形容する言葉で、「女性の美貌が並外れている」ことを意味します。

日本語にも同様の意味で「沈魚落雁」(ちんぎょらくがん)という四字熟語があります。

沉鱼落雁( chén yú luò yàn ):あらすじ

川で洗濯をしている西施を見た魚は、そのあまりの美しさに川底へと沈んでいき、匈奴へ向かう道中の王昭君を見た大雁は、そのあまりの美しさに森に姿を隠してしまったという話。

沉鱼落雁( chén yú luò yàn ):故事

春秋時代、越国が呉国によって滅ぼされると、越王の勾践は雪辱を晴らそうとして臥薪嘗胆する一方で、美女を見つけ出し美人計によって呉王の夫差の意気を挫こうとしていました。

越国の都であった会稽の諸曁(しょき)にある苧蘿(ちょら)村には西施という美女がいて、彼女は毎日川辺で洗濯をしていましたが、川の中にいた魚は彼女の美しさを目にすると恥ずかしさのあまり水面に顔を出すことができず、川の底に沈んでいってしまいました。

その後、越国の相国(宰相)である範蠡(はんれい)によって西施は見つけ出されると呉王の夫差に献上することになりましたが、案の定、呉王は彼女の虜になってしまいました。

それ以来、呉王は国政を顧みなくなり、その間に越王の勾践は富国強兵を図ると、遂には呉国を滅ぼしてしまいました。

時代は下って前漢の元帝の時代、皇宮では天下の美女を探して出仕させようとしていました。

その美女たちの中で王昭君が一番に選ばれたものの宮廷画家である毛延寿は賄賂をもらえなかったことにより彼女をわざと醜く描き、そのため王昭君は元帝に目を掛けられることがありませんでした。

ある日の夜、王昭君は気が塞いでいたため琵琶を弾いて気を紛らわしていました。

すると、その音色を聞いた元帝は音のする方に向かってみると、琵琶を弾いている彼女の美しい姿を見るや否や仰天し、すぐさま彼女を明妃に封じると、わざと彼女を醜く描いていた毛延寿を斬首するように命じましたが、それを知った毛延寿は匈奴に逃亡してしまいました。

匈奴に逃げ込んだ毛延寿は呼韓邪単于(こかんやぜんう)に王昭君の画を献上すると、それを見た呼韓邪単于は使者に王昭君を見つけて連れて来させるよう言いつけました。

これに対して元帝は激怒したものの、王昭君は国や民を思う気持ちから快く引き受けることにし、これには元帝も承諾せざるを得ませんでした。

匈奴に旅立つ前、元帝は自ら出向いて灞陵橋で王昭君を見送りました。

ちょうどその時、大雁の群れが空を飛んでいて、仙女のような王昭君の美しさを目にした大雁はすぐさま森の中に身を隠してしまいました。

出典《中華成語故事大全集》

《中华成语故事大全集》(百花洲文艺出版社)

今回の故事成語である沉鱼落雁( chén yú luò yàn )の故事については、『中華成語故事大全集』(百花洲文芸出版社)の「沉鱼落雁」を参考にさせていただきました。

沉鱼落雁( chén yú luò yàn )の記事では、出典は『荘子』「斉物論」でしたが、そちらの故事では西施や王昭君の話は登場せず、代わりに西施と同時代の美女である毛嬙(もうしょう)と、斉国との戦いに敗れたため和議の印として桓公に献上されることになった麗姫(驪姫)が出てきます。

ちょっと詳しい内容については以下の記事沉鱼落雁( chén yú luò yàn )にまとめてありますので、ぜひ読んで見てくださいね。

ちょっと深掘り

春秋時代、呉国と越国との戦いから誕生した故事成語である「臥薪嘗胆」。

その文字通り、一度呉王の夫差によって滅ぼされた越王の勾践が呉国の弱体化を図るために美人計の一環として送り込んだのが西施だったと言われています。

彼女はいわゆる「浣沙女」で、洗濯することを生業としながら川辺でいつも洗濯をしていたとされています。

西施についてもう少し詳しく知りたい方は、以下の記事なぜ「西夷光」は「西施」と呼ばれるのかをぜひ読んでみてくださいね。

王昭君についてですが、彼女の生年月日は百度百科の王昭君に記事では紀元前54年~紀元前19年となっているものの、日本語版Wikipediaでは紀元前1世紀頃となっていて、中国語版Wikipediaでは紀元前51年~紀元前15年となっていてまちまちですが、時期的にはおおよそその頃ということになります。

故事では元帝が王昭君を“明妃”に封じたとありますが、そもそもそのような事実はなく、明妃とは王昭君の別名のことで、そうなった理由は晋代に司馬昭が亡くなったことで昭の字が避諱(ひき、目上の者の諱を用いることを忌避すること)されたためです。

また、故事では匈奴の呼韓邪単于の求めに応える形で王昭君を差し出したという感じになっていますが、当時の匈奴は呼韓邪単于が元帝の時代に漢王朝に再び入朝することを求めたことから、実際には“漢強匈奴弱”で漢王朝が優勢の時期だったことから、匈奴に従わざるを得なかったというのは違うという意見もあります。

呼韓邪単于が漢との和親を求めて婿になることを願い出たことから、元帝は王昭君を閼氏(えんし)として送ったとされています。

ちなみに、閼氏(えんし)とは単于(匈奴などの君主号)の妻のことをいいます。

例文

她有着沉鱼落雁的美貌。

(彼女はとても美しい顔立ちをしている)

那女子有沉鱼落雁的美貌。

(その女性は並外れた美貌を持っている)

類義語

国色天香( guó sè tiān xiāng ):[喩]艶麗な女性、もとは牡丹の異称、または牡丹の美しさを形容する言葉

倾城倾国 ( qīng chéng qīng guó ):傾城(けいせい)の美人、絶世の美女

眉清目秀( méi qīng mù xiù ):(男子の)眉目秀麗であるさま、「眉目清秀」( méi mù qīng xiù )ともいう

対義語

其貌不扬( qí mào bù yáng ):人の容貌が醜いこと、風采があがらないこと

参照

『中華成語故事大全集』(百花洲文芸出版社)

「王昭君」(百度百科)

「王昭君」(中国語版Wikipedia)

「王昭君」(Wikipedia)

【故事成語】卧薪尝胆( wò xīn cháng dǎn )

日本語の四字熟語でもおなじみの「臥薪嘗胆」は、春秋時代の越国と呉国の親子二代にわたる争いの故事から誕生した故事成語で、司馬遷による『史記』「越王勾践世家」が出典になっています。

「臥薪嘗胆」というと、薪の上で寝て苦い肝を嘗めながら過去に受けた屈辱を忘れないようにして雪辱を果たすという話が一般的に知られていますが、実は『史記』には勾践が肝を嘗める話は出てくるものの、肝心の薪の上で寝るという記述はまったく出てきません。

臥薪嘗胆のちょっと詳しい内容は以下の記事卧薪尝胆( wò xīn cháng dǎn )にまとめていますのでぜひ合わせて読んで見てくださいね。

伯嚭(はくひ)に送られた美女の数は8人?!

呉王の夫差に敗れてしまった越王の勾践は本来であれば伍子胥の進言通り処刑されるはずでしたが、呉の太宰である伯嚭(はくひ)は越国から女性や宝器の賄賂を受け取っていたため越国が有利になるように夫差に取り次ぎました。

その辺のちょっと詳しい内容については以下の記事伯嚭(はくひ)に送られた美女の数は8人?!にまとめていますので、ぜひ読んで見てくださいね。

呉滅亡の決め手となった「笠澤の戦い」(笠泽之战)

戦に明け暮れて国力がますます疲弊していた呉国とは対照的に、臥薪嘗胆により富国強兵を図っていた越国は、精兵が留守となり老兵弱兵しかいなかった呉国の都である姑蘇城(現在の江蘇省蘇州)を一気に攻めました。

しかし、呉国の精兵部隊が無傷であったため呉国からの和議の申し入れを受け入れた越軍は撤退していきました。

飢饉が発生した隙を突く形で越国は5万の兵を率いて再び攻めた越軍を呉軍は迎え撃つことになり、両軍は姑蘇城の南にある「笠澤江」(現在の江蘇省蘇州市呉江区)を挟んで対峙することになり、呉国の存亡を懸けた一戦が始まろうとしていました。

笠澤の戦いについては以下の記事呉滅亡の決め手となった「笠澤の戦い」(笠泽之战)にまとめてありますので、興味のある方はぜひあわせて読んで見てくださいね。

イラストレーターの皆さん

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