【故事成語】不可救药( bù kě jiù yào )

目次
不可救药( bù kě jiù yào ):あらすじ


不可救药( bù kě jiù yào ):故事
周王朝(西周)に厲王(れいおう)という王がいました。
厲王はいつも遊びにふけっていて、臣下や民には残虐であり、不機嫌になると残酷な刑罰を下していたので、民は厲王を憎み、臣下たちも非常に大きな不満を持っていました。
ある日、凡伯( fán bó )という臣下がついに我慢できなくなり厲王に言いました。
「国を良く治めるには、仁政を施し有能な人材を重用して、おだてることにしか能のない者たちを遠ざけるべきです
このままでは、民からの信頼を失い、国が危うくなります」
厲王はこの忠告に耳を傾けなかったばかりか、これに激怒して凡伯を避けるようになりました。
才能もなく王をおだててばかりの臣下がこのことを知ると、内心、喜んだ者もいれば、凡伯を面と向かって嘲笑する者もいました。
これに憤った凡伯は詩を書いて反論しました。
そして、王に対する自身の忠告を嘲笑う臣下たちの行いを手のつけられなくなった火に例えながら「不可救药」と非難しました。
不可救药( bù kě jiù yào ):意味
「不可救药」は「救いようがない」という意味になります。
病気が重すぎて治す薬がなく助かる見込みがないというのが本来の意味ですが、そこから「人や物事、性格、悪癖などが救いようがないことや手に負えないこと」を意味します。
出典《詩経・大雅・板》
《诗经・大雅・板》:“匪我言耄,尔用忧谑。多将熇熇,不可救药。”

今回の故事成語である「不可救药」のもとになった故事は『詩経・大雅・板』に出てきます。
『詩経』とは中国最古の詩篇であり、周代に作られたことから『周詩』とも言われます。また、もともともは単に『詩』と呼ばれており、『詩三百』ということもあります。
西周初め~春秋時代中期(紀元前11世紀頃~6世紀)の詩歌305篇が収録されており、「風」(各地の民謡)、「雅」(貴族の祭祀の詩歌、その年の豊作を祈李、先祖の徳を頌える)、「頌」(一族の祖先の霊を祭る廟の詩歌)に大別されます。
「不可救药」には「无可救药」( wú kě jiù yào )という言い方もありますが意味は同じです。
「无可救药」と聞くと私の場合、学生時代によく聞いていた「张韶涵」( zhāng sháo hán )の「寻宝」( xún bǎo )の歌詞を思い出します。
さて、話は戻しますが、この故事は今から約2800年ほど前の中国の周(西周)の10代目の王であった 厲王(れいおう) の頃まで遡ります。
昔、歴史の授業で中国の王朝の名前を覚える時に「殷、周、秦、漢・・・」と何度も口にしていたあの周のことです。
もともと殷の属国だった周は紀元前1046年に殷と戦って勝利して周王朝を開き、紀元前256年に秦に滅ぼされるまで約800年間も存続し、この存続期間は中国の王朝史上、最長のようです。
そんな歴史の長い周王朝ですが、やはり王の中には遠征に失敗したり、贅沢な生活をして政治に無関心な王も出てくることになり、その典型的な例が10代目周王の厲王(历王:lì wáng )でした。
彼の在位期間は紀元前877年~紀元前841年の30数年間。
当時の周の首都は鎬京(镐京:hào jīng)で、現在の陝西省西安市の南に位置していました。
周は「井田制」( jǐng tián zhì:せいでんせい )という土地制度を採用していました。
まず、土地を「井」の字で9つに分けて、真ん中の土地(公田)を共同で耕作させることによりその収穫を国税として納めさ、残りの8つの土地(私田)は1家族に1区画ずつ与えられて、平時は自由に耕す事が認められ、また戦時には兵役の義務もありました。
しかし、時代が進むにつれて「私田」が開発されるようになり、井田制は徐々に有名無実化、国の税収の基盤が緩んでいくことになりました。
そこで、厲王は臣下の提言を受け入れて、山や川などへの自由な出入りを禁止してしまい、それにより民は猟や柴刈り、魚を捕まえたりすることが許されず、それらによって生計を立てることができなくなってしまいました。
さらに、それに対して民衆が不満を持つようになると、彼らの言動は常に監視されるようになり、王の悪口を言うものなら処刑されてしまい (卫巫监谤: wèi wū jiān bàng ) 、道を行く交う人は会話をしようとせずに目で自分の意志を伝え合っていたと言われています(道路以目: dào lù yǐ mù )。
そのような現状に、国の行く末を憂慮した「凡伯」という臣下がいました。
彼は厲王に徳政を施すように諫言しましたが、厲王はその忠告をまったく聞こうとはせず、挙げ句に、その状況を見ていた周囲の臣下たちは凡伯を嘲笑するようになりました。
それに激怒した凡伯は長い詩を書いて反論しました。
それが『詩経』の「大雅」( dà yǎ )に収められている「生民之计」( shēng mín zhī jì )に出てくる「板」( bǎn )という詩です。
その一部を引用して見ましょう。
我虽异事 及尔同僚 我即尔谋 听我嚣嚣
我言维服 勿以为笑 先民有言 询当刍荛
天之方虐 无然谑谑 老夫灌灌 小子蹻蹻
匪我言耄 尔用忧谑 多将熇熇 不可救药
https://baike.baidu.com/item/%E8%AF%97%E7%BB%8F%C2%B7%E5%A4%A7%E9%9B%85/6000551?fr=aladdin#2
だいたいの意味としては
「私はあなたたちとは立場は違うが同僚だ。
私が言っていることは事実であって冗談などではない。
先人は言った、樵夫(きこり)に学べと。
近頃の天下は乱れているのに、小人はかくも傲慢である。
私が年老いてひねくれていると思わないで頂きたい。
悪事の多くが収まらず、すでに救いようがない。」
かなりの意訳で申し訳ないのですが、意味としてはそんな感じです。
しかし、それでも厲王は改心することはありませんでした。
そして紀元前842年(841年とも)、厲王の圧政に我慢の限界が来た民衆は、贵族( guì zú )を中心として遂に蜂起しました。
「国人暴动」( guó rén bào dòng )です。
国人( guó rén )とは「都に住む人たち」や「贵族」の意味で、今回の場合は都やその周辺に住む商工人なども含めて国人と言います。
武装した民衆はおのおの手にした武器を持って集結すると王宮を取り囲み、厲王を倒そうとしました。
この状況に厲王はすぐさま兵を動員して鎮圧するよう命令しましたが、臣下に次のように言われました。
「我々周王朝の兵はみな国人です。国人とは兵であり、兵とは国人です。その国人が蜂起した今、兵を集められましょうか。」
その後、蜂起した民衆は王宮に攻め入りますが、厲王の姿はどこにも見当たりませんでした。
実は、厲王はすでに王宮を抜け出し、西安の東側にある現在の山西省南部に逃亡していました。
厲王は二度と鎬京に戻ることはなく、紀元前828年に同地で病死しました。
厲王去りし後の鎬京では一時的に王が不在となってしまいましたが、国人の推挙もあって周定公( zhōu dìng gōng )と召穆公( zhāo mù gōng ) のふたりが国政を担うこととなりました。
その治政は「周公共和」( zhōu gōng gòng hé )や「共和行政」( gòng hé xíng zhèng )と呼ばれました。
ただ、『史記』によると、この「共和行政」は共伯和( gòng bó hé )という人物が政務を代行したとの記述があるようで、誰が政務を代行したのかについては意見が分かれるようです。
さて、不可救药の故事についてちょっと掘り下げてみてみましたがいかがだったでしょうか。
いろいろな人名などが出てきて私もちょっと頭が混乱しそうになっていますが、個人的には調べていて面白かったなと思いました。
歴史的な一連の流れがあるとは言え、民衆の生活が圧迫されている中でさらに精神的にも圧迫して、その不満を押さえつけるために恐怖政治を施いた国の末路というのは、結局のところ2800年前も同じなんだなと思いました。
ただ、個人的に気になるのは、民衆が蜂起するまでは何事も意のままにしてきて贅沢三昧の生活をしていた厲王が、一瞬にしてすべてを失ってしまったあと、逃亡先でどういう気持ちでどのように過ごしていたのかなという点です。
民衆の蜂起から十数年は生きていたわけですから、きっと彼と一緒に生活をしていた人も当然にいるでしょう。
少なくとも以前の身分は隠していたとは思われますし、過去の“栄光”を自慢することもなかったと思います。
あまり考えすぎると病んでしまいそうなのでやめときます(笑)
例文
他的问题很严重,已经不可救药。
这个世界并非不可救药。
看完了“号泣会见”的野野村议员的视频,我想他已经不可救药了。
不可救药的大病
这孩子调皮得不可救药了。
她的坏习惯已经到了不可救药的地步。
類義語
病入膏肓 ( bìng rù gāo huāng ): 病膏肓に入る、[喩]事が救いようのないほどに深刻なこと
气息奄奄 ( qì xī yān yān ): 息が絶え絶えである
対義語
妙手回春 ( miào shǒu huí chūn ): (医者の)優れた腕が健康を取り戻してくれること、優れた医術で病気がたちまち治ること
旭日东升( xù rì dōng shēng ):東の空に朝日が昇る、勢いが盛んなさま、旭日昇天の勢い
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