【故事成語】伯乐相马( bó lè xiàng mǎ )②

伯乐相马( bó lè xiàng mǎ ):意味

「伯乐相马」( bó lè xiàng mǎ )は、「馬の優劣を見極められる人」から転じて、現在では「人材の発掘や登用などをする人」という意味で使われています。

伯乐相马( bó lè xiàng mǎ ):あらすじ

春秋時代、虞国の王から駿馬を買い付けてくるように依頼された伯楽(孫陽)が、坂道で見かけた痩せこけた馬を千里馬だとすぐに見抜いたという話。

伯乐相马( bó lè xiàng mǎ ):故事

春秋時代の虞国は、北は晋国、南は虢国と国境を接していて、晋国とは“虞坂古塩道”という道で繋がっており、現在の山西省平陸県の虞坂村にありました。

当時、伯楽は秦国の穆公から駿馬を探してくるよう依頼を受けて良馬を探しているところで、案の定、冀州北部の馬は大きくて立派であり、伯楽は穆公のためにたくさんの良馬を選び出し、その中には値の非常に高い千里馬もいました。

これには穆公も大いに喜び、こう思いました。

「斉の桓公や晋の文公は諸侯の覇者となったが、自分も覇者となり天下に雄を唱えたいと思う。夢にまで見たこのような千里馬があれば、必ずしや大事を成せるであろう」

また当時、虞公(虞国の君主)の姫仲もまた馬を可愛がっており、伯楽が馬の善し悪しを見極めることが得意であることを知ると、伯楽をわざわざ虞国に招いて馬を選ばせることにし、虞公の意図をくみ取った伯楽はしばらく考えると喜んで虞国に赴くことにしました。

これはまずひとつに、虞公は周太王の古公の次子である虞仲の子孫であり、周太公に対する人々の尊敬の念がその子孫にも及ぶのは自然なことであるためと、ふたつめは、殷代中頃の聖人である傅説(ふえつ)が、奴隷として虞坂塩道の傅岩(現在の山西省平陸県東部)で道を作っていたためです。

傅説はその際に“版筑”(はんちく)の技術を発明したことで工事の進捗状況や質は大きく改善し、傅説の文韬武略には武丁も大変喜び、彼を宰相に抜擢すると、その後、傅説は国家の秩序を整えたことで殷王朝は大いに治まり再興することになりました。

伯楽は思いました。

「その場所で聖人である傅説を見つけ出したと言うことは、優れた人物を輩出した土地であるということが言えるわけだから、千里馬を見つけ出すことに大いに期待することができるだろう。

それに虞国に近い屈地はもともと良馬を盛んに産出し、虞坂は車馬の往来が盛んで、塩を運ぶ馬も往来が途絶えることがない。その中には良馬が必ずいることだろうから、そうすれば自分の腕前を発揮できるだろう」

伯楽は虞国にやって来ると、片時も虞坂を離れず、往来する馬を念入りに観察しました。

しばらく観察していると、普通の馬は1日に1往復しかできない中で、1日に3往復する馬がおり、伯楽は機会を伺ってじっくり観察してみようと思いました。。

ある日、しとしとと小雨が降る中、伯楽は突如として山を振るわすほどの馬の嘶(いなな)き声を耳にし、これは普通の馬でないと瞬時に感じた伯楽はすぐさま先を急ぎました。

すると、あろうことか、その馬は重く積まれた荷物と滑りやすい道のせいで塩車を挽いて進めずにいただけでなく、さらに車夫からひっきりなしに鞭で打たれたその体にはたくさんの傷ができ、悲しそうに悲鳴を挙げていました。

よく見ると、この馬はまさに1日に3往復していた良馬で、その馬もまるで旧友に再会したかのように嘶くと、その奮い立った鳴き声は金石でできた楽器のように空の果てに向かって鳴り響きました。

伯楽はこのような良馬がこのままでいるのは大変に惜しいと感じ、自身が着ていた蓑(みの)を被せてあげると、伯楽が自分を気に入ってくれているのだと感じた馬は顔を上げて嘶きました。

伯楽は車夫に言いました。

「そなたはこのような千里馬を普通の馬のように酷使して、せっかくの能力を無駄にしてしまっている。これ以上みるに耐えないから、金20両で私に売ってくれないか」

車夫は伯楽を少し間が抜けていると思いましたが、この馬は貧弱で車を牽くにも力が出ず、かなり食べているものの枯れ木のように痩せ細っているので、迷うことなく売ることにしました。

伯楽が馬を金20両で買ったという話はあっという間に広まり、虞公はその知らせを耳にすると、臣下や侍従を連れて虞坂までやって来ました。

しかし、伯楽が連れてきた馬がかなり痩せ細っているのを見ると、伯楽が責任をきちんと全うせずにいい加減にあしらっていると感じてしまい、こう言いました。

「馬を見極めることに長けているものと信じて、そなたに千里馬を見つけるという大事を成し遂げてくれるものだと頼りにしていたが、その馬はなんだね。私が目をつむって触ったとしても、このようなひどい馬は選ばないだろう」

伯楽は言った、「これは確かに千里馬でございますが、秘めたる力を持ちながらもこれまで車挽きのために用いられていたこと、加えて良質なえさを与えられていなかったために、痩せ衰えているように見えるのです。

しかし、きちんと世話をしてあげれば半月とたたずに威風堂々とした凜々しい姿を取り戻すはずです」

それを聞いた虞公は半信半疑だったものの、嘘をついているとは思えない伯楽の姿に、馬の世話係にきちんと世話をさせるように手配しました。

案の定、それからしばらくして、その馬はたくましい姿へと変貌を遂げると、それを見た虞公はとても喜び馬にまたがり鞭を振るうと、あっという間に数百里を駆けました。

それはみなが「千里馬だ」と感嘆するほどのものでした。

それからというもの、馬の鑑別のために多くの人が伯楽のもとを訪れるようになると伯楽はますます有名になり、それ以降、伯楽が振り向きさえすれば、その馬の価値はすぐさま高くなったことから、後に「伯楽一顧、馬値徒増」と言われるようになりました。

出典《山西省平陸県政府HP》

今回の故事成語である「伯乐相马」( bó lè xiàng mǎ )の故事は、山西省の平陸県政府のホームページに記載されている「伯乐相马」(山西省平陸県政府HP)を参考にさせて頂きました。

この「伯乐相马」の故事については、今回のように虞国の虞公から駿馬を買い付けてくるように依頼されるパターン以外にも、楚王から買い付けを頼まれるバージョンなどもあり、故事については書籍やサイトなどによって違いがあります。

また、韓愈の『雑説・四』には「“世有伯乐,然后有千里马。千里马常有,而伯乐不常有。”」(世に伯楽ありて、然る後に千里馬あり。千里馬常にあるも、伯楽常にあらざり。) や、韓嬰の『韓詩外伝』の「“使骥不得伯乐,安得千里之足。”」(もし駿をして伯楽を得ずんば、いずくんぞ千里之足を得んや)を出典としているものもありますが、いずれの古書には楚王や虞公から駿馬を買い付けてくれるように依頼される話は出てきませんが、いずれも伯楽が千里馬を見つけるということについて触れています。

ちょっと深掘り

山西省平陸県の虞坂村にある「虞坂古塩道」(以下、虞坂)は、「虞坂」「虞坂道」「虞坂茅津道」「塩道」とも呼ばれ、古代中国の重要な“塩道”であるとともに、兵法三十六計のひとつである「仮道伐虢」や今回の故事成語である「伯楽相馬」が起こった場所でもあります。

虞坂は山西省運城市平陸県の北側から同市の塩湖区磨河村の南側に通じ、全長は約8㎞で、道幅は約2m~4mとなっています。

1956年に廃路となってからは付近に建設された高速道路が利用されてからは長らく利用されていませんでしたが、1980年代になって再び発見されると、2013年には「全国重点文物保護単位」に指定されることになりました。

この虞坂は春秋時代の虞国の都付近にあったことからそのように名づけられましたが、具体的にいつ開通したのかは不明です。

早くの虞坂は距離が長く、南は黄河北岸の茅津渡(現在の山西省平陸県茅津村)まで、北は王峪口(現在の山西省夏県)まで通っていて、塩池(運城塩湖)から現在の陝西省や河南省一帯に塩を運ぶ重要な交通ルートだったとされています。

また、虞坂は三十六計のひとつである「借道伐虢」で晋国が虢国を攻めるために虞国から借りた道とも言われており、また、今回の記事で紹介している故事成語「伯楽相馬」の故事で伯楽が千里馬を見つけた坂だったとも言われています。

しかし、虞坂周辺は地勢が険しく馬や車の交通に不便だったことから明代の正徳8年(1513年)に当時河東巡塩御史だった張士隆が虞坂を掘削して道を広げ、坂の勾配を緩やかにしました。

時代は中華人民共和国建国まで下り、1956年には現在の高速道路に取って代わったためその後は次第に利用されなくなってしまいましたが、1980年代になってから再び発見されると平陸県の文化館の職員が調査が行われました。

2004年には「塩池禁壁」とともに「第4期山西省文物保護単位」に指定されると、翌年の2005年には虞坂の路面は修復され、2013年になり虞坂古塩道は単独で「第7期全国重点文物保護単位」に指定されるに至り、周代のものであると認定されることになりました。

虞坂はその途中に「児女洞」や「鎖陽関」、「青石槽」、「伯楽識処」、「小鬼額頭」などあり、路面には車の轍の跡や馬の足跡が残っているとされています。

類義語

伯乐选马( bó lè xuǎn mǎ ):

対義語

勉強中・・・

伯乐相马( bó lè xiàng mǎ )①

こちらの「伯乐相马」( bó lè xiàng mǎ )は韓嬰の『韓詩外伝』に登場する孔子とその弟子の子路をの対話が出典になっています。

今回のように伯楽が依頼されて千里馬を探しに行くという話は出てきませんが、興味のある方はぜひ合わせて読んでみてくださいね。

参照

「伯乐相马」(山西省平陸県政府HP)

「虞坂古盐道」(中文Wikipedia)

イラストレーターの皆さん

この記事を作成するに当たって使用させてもらった画像のイラストレーターさんになります。

「せいじん」さん - ネコ

「miho.panda」さん - パンダ

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